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より高く、より大きく [一行哲学]

分かり合える人しか助けられないのだとしたら、自分はなんとちっぽけなのだろう。

 

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kyao

人間の性として、仲のいい人しか助けようとしない、あるいは助け合おうとしないということがありますね。仲の悪い人が相手の場合、嫌悪感が先に立ってしまうと言う事があるからですが。
でも、別の言い方をすれば、そんな人同士であっても、きっとお互いの命が掛かっているようなときならば、助け合おうとすると思うのです。そのときにこそ、その人の真価が問われるのではないかと。
by kyao (2009-05-29 15:38) 

銀鏡反応

自分の仲間しか見えていない人は、往々にしてその仲間ばかりに手を差し伸べようとしがち。普段から「犬猿の仲」の間柄よりも、自分とツーカーの間柄を重視してしまうからなのでしょう。

しかし、大災害など、多くの人の命に関わる事態になった時、人間と言うのは、仲がいい、悪いで分ける余裕はなくなる。相手が仮令嫌いな人間であっても、こんな時、互いに助け合わなくてはならない、と思うものでもあるのではないか。(ただし、余程の“ジコチュー”は別として…)

また大災害以外でも、相手がどんなに嫌いな人間でも困った時などには助け合おうという精神が出てくれば、その人の質はよいものになるに違いありません。
by 銀鏡反応 (2009-05-30 05:48) 

参明学士

★kyaoさん、親しい人をどうにか助けたい、相談に乗ってあげたいと思うのはごく普通に我々の持っている感覚であることは確かですよね。この「ごく普通」を一歩乗り越えていく行動の中に、緩やかではあるけれど確かな変革への工程ってあると思うんです。
己の器を平時に広げていくことはそう容易なことではないですけれど、「誰でも困っている人を助けていくのだ」と平素から心構えておくことが自分の器量を拡大すると信じたいものです。

★銀鏡反応さん、「当たり前のことをする」ということに満足していると、何ら次なる前進ができなくなる恐れがあると思うのです。当たり前の中に「自己の器の拡大」は容易には為しがたい。「自分のお仲間だけを助ける」という狭い思考に陥っては次の人類のステージが拓けないと思います。
大きな意味での「人類愛」というものを持ち得るか否かも、畢竟、自己の器の拡大を為しえるかどうかにかかっているものと見ます。
by 参明学士 (2009-06-01 19:31) 

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