洞察を陶冶し、行動は他者のために。哲学徒で鍵盤男子。
人は己の直観を受け入れる存在だが、それを説明することは容易ではない。
一行哲学
直感そのものが、まず、言葉では説明しにくいですからね。(^^;直感といえど、おそらくは過去の経験の積み重ねから得られる何らかの根拠に基づいているのだと思うのです。ただ、それら積分は無意識下で行われているため、言葉として表現するのは難しい。そういうことではないでしょうか。(^^) by kyao (2009-05-28 19:01)
★kyaoさん、「直感」と哲学用語である「直観」は似て非なるところもあるのですが、ともかく、その両方が記述に適さない、つまり「語ることができない」確信なわけです。ある意味では言語の射程の限界を超えているということでもありますね。そしてこれは仰るように人間の無意識層でのアクションですので、「この感じ」を的確に言語として描出するのは容易ではないわけです。世を揺るがすような学説というのは、こうした直観知を、きちんとした言語で体系化したものなのだなと思っています。 by 参明学士 (2009-05-29 13:21)
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直感そのものが、まず、言葉では説明しにくいですからね。(^^;
直感といえど、おそらくは過去の経験の積み重ねから得られる何らかの根拠に基づいているのだと思うのです。ただ、それら積分は無意識下で行われているため、言葉として表現するのは難しい。そういうことではないでしょうか。(^^)
by kyao (2009-05-28 19:01)
★kyaoさん、「直感」と哲学用語である「直観」は似て非なるところもあるのですが、ともかく、その両方が記述に適さない、つまり「語ることができない」確信なわけです。ある意味では言語の射程の限界を超えているということでもありますね。
そしてこれは仰るように人間の無意識層でのアクションですので、「この感じ」を的確に言語として描出するのは容易ではないわけです。
世を揺るがすような学説というのは、こうした直観知を、きちんとした言語で体系化したものなのだなと思っています。
by 参明学士 (2009-05-29 13:21)