ネット上での匿実名論争を考えてみる…後編 [思索の散歩道]
前編・中編と書いてきた本シリーズもこのエントリーで最後になります。読み易さも考慮して、中遍にも小見出しを付けてみました。
さて、一般に匿実名論争が起きるのは、ネット上での発言に規律や責任を与えることを目的としたものだと思われます。規律や責任の所在が明確になることでネットのメディアとしての信頼度を確立することができるという主張があるようです。
私は思い浮かべます。ネットに限らずテレビや書物等に実名で登場して論評・意見表明をしている人達に幾らでも虚偽があることを。真逆の主張・事実関係をぶつけ合う政治家や評論家や企業家や学者や一般人がいることを。
果たして「実名」が情報に規律や責任や真実性を与えますか。与えてきましたか。私にはとてもそうは思えない。この問題は「情報の本質をどのように捉えるか」ということの方が、より重要ではないかと私は考えます。
ネット上での匿実名論争を考えてみる…中編 [思索の散歩道]
前回記事の続きです。
本エントリーはネット利用における匿名・実名論争を取り上げたものですが、そこから敷衍してネット世界に関わるユーザー欲求の本質をどう考えるかということ、それから、ネット参加の際にユーザーの足場となる「名」に関することについて考察を進めていくということで前回記事を終わりました。
というわけで早速、前者の問題について。
これは多分にユーザーの「主体意識」が少なくない要素を担っているのではないかと私は考えます。この「主体」という語に関しては哲学的な物言いをすると果てしない議論になりますので、ここでは一般的に使用される「私」あるいは「自分」という程度の意味で用います。近似の概念に対する類推の程度については、このエントリーを読まれる方々の自由裁量にお任せいたします。つまり「主体」という言語を、「私、自分、我々、自ら、ユーザー」等々の容易に推測可能な範囲内で表現出来る語に置き換えて考えて頂いて構わないという意味です。
また、このエントリーは本来のテーマである「実名か匿名か」が中心に語られるべきですが、ネット上ではH.N(ハンドルネーム)での人格もまた数多く見られるので、それらも併せて複合的に捉えてみたいと思います。
ネット上での匿実名論争を考えてみる…前編 [思索の散歩道]
何らかのテーマを真剣に考えてみるという機会が結構久しぶりな気がする明士です。
最近行われた勝間和代さんと、ひろゆきさんの対談が何やらこじれたらしく、ネット上でも話題になっていたのがきっかけで、とある論争が存在することを知りました。幸福度の問題なんかも語られていて、着陸点も見つからない状態のようです。こういう話、私は好きですけれどね。(参照元:さかなの目さんのブログ)
本エントリーのテーマについてはタイトルの通りなんですけれど、こんな記事があったりしてなかなか興味深い内容となっています。大雑把に言って何が議論されているのかというと、責任の所在であるとかリスクの大きさであるとか、個人がウェブに参加する上での「社会性」にまつわる話なんですよね。以下のような始まりでリンク先の記事が枕を打っています。
夢の不思議 [思索の散歩道]
不透明な時代を生き抜く [思索の散歩道]
なんで生きるのかな [思索の散歩道]
世の中のすべてのことに考えが至っているような人はいないだろう。ということは、我々人間は自分が知り得ている情報やそれに基づく認識だけで生きているということになる。広い視野でモノを見るといっても、それはどこかの他人と比べて視野が広いかもしれないということであって、決して完全なのではない。全てを知りうることが出来ないということは、人間は結局「適当」な認識を持つ以外にない。
ケータイは本当に人と人を近づけたのか?(1) [思索の散歩道]
日本国内で9000万件弱の契約数を誇る携帯電話。劇的に人間と人間のコミュニケーションを連携・多様化させたと言われているが、考えようによってはそうとばかりは言い切れない部分もあるのではないだろうか。
お日さま、そんなに大きかったの [思索の散歩道]
北海道
比類なき大天地
お日さますら大きく見える
シャッターを切らずにいられない
ああ 胸は躍る
太陽の輝かしさに反比例する冷えた清涼な空気
清らかな乙女の肌のような大雪原
毒気の無い現実がここにある
吐く息は白かった
雪原と同じだった
人は地球から生まれた
地球は宇宙から生まれた
生まれることと亡くなることの連続
その先はどうなんだろう
またここに行こうと思った
そしてまた同じことを考えに行こうと
その時ちょっぴりでも私が育っていれば
うなづける答えを持っていけますように
人間とは何か [思索の散歩道]
私は一体何者だろう。どこから来て、どこへ行くのだろう。
父と母がいて私がいる。父と母にもそれぞれ父と母がいる。私から見れば祖父母である。祖父母にも父と母がいる。そうやってどんどん遡っていくと一体どこに行き着くのだろう。