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日記って誰のために書くんだろう?私が死んだら誰のもの? [思索の散歩道]

タイトルは決して早死にするという意味ではありません(笑)

日記をつけて6年目に入ります。毎日つけています。有名な高橋書店の「当用新日記」という18行の日記です。日々の出来事はもちろん、雑感、詩、将来の構想(まだ若者ですから…)、友人との関係、想う人への回想等、多岐にあふれていて恥ずかしい限りですが、過去の日記を読むとまざまざと当時の映像が蘇ってきます。
最近、つんくプロデュースの「ソニン」という歌手でしたか、彼女の歌に『日記なのに本当のことが書けなくて』というフレーズがありました。確かにこれは言えている部分があると思います。実感としてわかりますね。日記は自分の心情をつらつら書くものと思いがちですが、いつか誰かには「見られてしまう」のが現実でしょう。そうすると「変な配慮」が緩やかに働かないとは断言できないものです。自分の真情がバレるのがいやなのではなく、日記に登場する人物が、あとから私の日記を見た時に後遺症になってはいけないなぁなんて思ったりするのです。

じゃあ、その日記が真実を書いていないかというと、そんなことはありません。日記の書き方も積み重ねることによって熟練してくるわけです。最初は何を書いていいかわからないから、ありのままの真情を吐露するわけです。ですが、段々文章を書きなれてくると的確な表現が身についてきます。真実を書きながらも柔らかい表現や婉曲的な表現をすることが可能になるのです。
国連加盟国の平均語彙数が約7万語、日本語の語彙は70万語あるという説もあります。それくらい日本語は表現の自由度が高いと言えます。日記をもっとうまくつけられるようになると、何となく一日一日の人生も充実してくるような予感がしています。

それにしても日記とは誰のために書くのでしょう。やはり私のため?時々友人と昔話をすると日記を紐解いたりして大笑いします。「そうそうそう!!あの時のお前の行動は無茶苦茶だったよ!」とか、「友人のアイツがあの女にアタックして崩壊した…。あの女、手強し!」とか、今は笑い話になるような記事が満載のようです。

え、私がどんな女性にアタックしたかって??
フフ、それは私の日記の中にだけ答えがありますよ…。きっと(笑)←忘れたい過去??!


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mana

自分の日記は、日頃のグチ+決して叶わない想い!
笑えないことばかりです。
死んでも見せられない。イヤ?死んだら見られてしまう。
絶対!死ねない。(笑) 今は・・・

過去の記事を少しずつ読んでいるため、参明学士さんが忘れられているような記事にもコメントしてしまいます。
お手数をお掛けし、申し訳ありません。サラ~っと流しちゃってください。(笑) 早く、追いつかなくては・・・
by mana (2005-11-30 01:05) 

参明学士/PlaAri

★manaさん、そうですよー、死んだら見られてしまうのです(涙)
見られてもいいような人生を生ききっていくつもりです。
がんばろー!
過去記事へのコメント、大歓迎ですよ。遠慮なさらずにどうぞコメント残してくださいね。いつもありがとうございますm(__)m
by 参明学士/PlaAri (2005-11-30 14:00) 

三四

明士さん、こんにちは。
ちょうど今、祖父が20代初めの頃に書いた日記を読んでいて、こちらの記事を思い出したので再訪してみました。

日記には仕事のことや恩師・友人たちとの日々の出来事などが丁寧に綴られているのですが、その内容自体よりも文字や文体のほうから祖父の性格や思考を窺い知ることができ、孫というよりは、一つの物語の読者のような感覚で、少しドキドキしながらページをめくっています。
そして明士さんのような配慮は祖父にはなかったらしく(笑)、鮮やかすぎる恋の話も恐らく「真実」どおりに残されていました。この恋が成就していたら私は生まれていなかったんだろうなあ、などと考えると、人と人とが繋がっていくことの不思議さに気が遠くなる思いです。

このエントリーから10年以上経た今、日々の軌跡を残す方法はネット上や電子機器の中など様々な場所に溢れていますが、明士さんの手書きの日記がいつか誰かの目に触れてその人の「ドキドキ」を生む、そんな日が来るのは素敵なことだろうなあって思います^^
by 三四 (2017-09-03 13:27) 

参明学士/PlaAri

★三四さん、コメントありがとうございます。
「書く」という営みが確実に減ってきている現代にあっては、日記を綴ることで手書き力の劣化を食い止めている側面もありますね。
開始当初は何を書いて埋めるのかが課題だったわけですが、慣れてくると型が出来てきます。それをなぞる毎日では面白みに欠けますが、一番大事なことは「書くに値する行動があるか」ということでしょう。日記の質が高まることは日々の質が高まっている証なのかもしれません。

ともあれ、ルーチンのような日々に何らかの創造的な営みが織り交ざっていくような生き方を目指したいところです。
by 参明学士/PlaAri (2017-09-05 14:33) 

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