SSブログ

似て非なるもの [一行哲学]

反省と自己否定は全く次元が異なる。混同してはならない。



タグ:一行哲学
nice!(2)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 2

コメント 2

kyao

「反省」からはたくさんのことが学べますが、「自己批判」からは何も得ることが出来ません。
ぱっと見、「反省」と「憔悴」も同じように見えますが、やはり同様ですね。
私も失敗するたびに死ぬほどへこみますが(笑)、どこかで立ち直るための工夫を探し出さないと、そこから先に進めません。

失敗のないところからは何も生まれない。成功のみを得ていた者に進歩は生まれない。私はそうも思ってます。
どこまでいっても失敗は怖いものですから「失敗を恐れずに…」などと私には言えません(笑)。ですが、だからこそ、失敗してもさらにその先を目指す一歩を踏み出す勇気を忘れないようにしたいと思っています。(^^)
by kyao (2009-05-17 18:42) 

参明学士

★kyaoさん、やはり「反省」には前進への気概が含まれているものですよね。より良く生きんがために「反省」はある。
ところが、自己否定というのはベクトルが違います。これには「自己を貶めることによる充足感」を伴うことがあります。決して今を満足してはいないけれど、自己否定が習慣になり、その「クセ」が安定してしまいます。その安定感の立場からすると、未来や希望のことを考えたりすることに非常に疲れてしまうので、自己否定の空間に戻ってきてしまうのだと思います。つまり「暗黒のスパイラル」になりがちであるということです。そうなりそうになったら、「よし、私はこれで自己否定の気分も学べたな」というくらいの気持ちを持つことが大切だと思っています。

「どんな環境や状況も価値に転換してみせる」という心さえあれば、それを原点にして世の困難の多くを悠然と乗り越えていけるものと信じます。いざという時に、この原点に回帰することを忘れたくないものです。
by 参明学士 (2009-05-19 10:24) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。