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誠実か、ふざけか [一行哲学]

「ほめる」ことと「おだてる」ことは全く別のことである。

 

一行哲学


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銀鏡反応

全く疎の通りです。「褒める」ことが、相手を認め、相手の成長を願う真剣さと誠実さをふくんでいるのに対し、「おだてる」のは、相手をいわゆる“ヨイショ”しておいて、その裏で相手のことを小バカにしているという、実に「ふざけ」た態度ですよね。

どうせ人を評価するなら、おだてやヨイショはせず、キチンと相手を思って褒めることをしたいですね。
by 銀鏡反応 (2009-05-16 05:41) 

kyao

私の中では「褒める」という行為はその人の存在価値を認めるということ。「おだてる」という事は往々にしてその人を利己的な目的のために使うということのような気がします。
つまりは、本質的に「その人自身のため」か「自分自身の利害のため」かということではないかと。
誰かに「おだてられる」ことなく、誰かを「作意なく褒めてあげられる」客観性を持ち得たいものです。(^^)

by kyao (2009-05-16 07:50) 

参明学士

★銀鏡反応さん、人間関係維持を考えてなのか、あまりにも世には「ヨイショ」が多いように思うのです。しかし、ヨイショからは真の力は生まれませんよね。褒めるとことは、実は簡単なようで難しいのだと感じます。それはやはり出来事の善悪を判断できねば褒めようがないですし、相手の長所を見抜き観得する力がなければ為しえないことだと思うからです。

★kyaoさん、この一行哲学の主旨をよく汲んでくださっているようでありがたく思っております。kyaoさんにせよ、銀鏡反応さんにせよ、実にこの「一行の言葉」の真意を深く察して頂いて感謝しております。ある意味ではこうしてコメントを頂いて、この一行哲学は完成していくのかもしれません。

おだてではなく、本当に褒めていける人間。実は少なくなってきているのでしょうか。そんな風に感じる世の中なのは、マスコミをはじめとして、情報過多な現代社会というもののミスリードによることも大きいでしょうけれど、日々を確かにこの大地に生きている一人ひとり、要するに我々のライフスタイルの中で、互いの存在価値を認め合うような言葉が交わされることが時代が変われど必要なことなんですよね。
by 参明学士 (2009-05-17 03:47) 

木鶏

「褒める」ことは、自身が素直であり、他者を認めている
から発せられる意識と言葉

「おだてる」ことは、作為的に他者の心を自身に引寄せる
ために作られた意識と言葉

ワタシは、長所や自身が欠いたものを有する人の言動には
正直な言葉を伝えるようにしています。。。
あと、難しいなと思うのは、言わなくとも良いことを一言多く
発してしまうこと。。。
by 木鶏 (2009-05-17 10:54) 

参明学士

★木鶏さん、仰るとおりだと私も思います。私は基本的に他者の潜在的可能性を信じきることにしています。ですから、褒める時はそのまま全力であります。

「疑って安全を保つよりは、信じて裏切られた方がよい」

そんな言葉がどこかにありました。あくまでも「自分のスタンス」が第一義になりますね。相手次第ではなく、自分がどうであるか。自分が相手を信じる気持ちを持つか否か。そのような意識を持つことで自己の心を育てていくことができるのかもしれませんね。
by 参明学士 (2009-05-19 10:36) 

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