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うれしくなった [人間社会]

 先日、こんなことがあった。

 西武新宿駅にある楽器屋に行った。私がシンセサイザーのコーナーで試奏をしていた時のこと。

 

 明士:(シンセの試奏をしていた)

 男性:あ、あの、すみませんが…。

 明士:なんでしょう?(弾いていた曲を知っている方かな?)

 男性:ちょっと、アドバイスというか、教えていただきたいのですが?

 明士:はい。何でしょう?

 男性:実は自分は全くの初心者で、これからキーボードを始めようと思うんですけれど、手始めに買う機材はどのようなものが良いかと思いまして…。

 明士:これから始められるのですか…?

 男性:はい。それで知人に相談するとYAMAHAかROLANDのものが良いと言われて、ネットで色々調べてみたんです。これがプリントアウトしたカタログなんですが、自分には良し悪しがわからなくて…。値段もすごい幅がありますし。

 明士:そうでしたか。シンセにはほとんどスピーカーはついていませんから、本体のほかにスピーカーも必要になりますよ。その点ではキーボードならスピーカーが内蔵されてますから、練習のとっかかりには使えるかもしれませんね。ただ、音質は明らかにシンセに及ばないので、音に対する飽きが来るのも早いかもしれません。私はとっかかりから低価格シンセを選びましたけれど、どういった演奏を最終的には望まれていらっしゃるのですか?

 男性:あの、実は、母が介護状態になっておりまして、とっても歌が好きなんです。特に童謡だと音を外さず歌えまして、デイサービス(介護保険に関わるサービスの一つで、要介護者が日中に施設に集まってレクレーション等を行って心身の健康維持や増進に努める)に行って帰ってくると、とっても喜んで歌を歌っているんです。デイサービスではそういう童謡を歌う時間もあるようなんです。それで母が喜ぶことで母の介護状態の悪化を遅らせるというか、認知症(以前は痴呆症と表現したようだが、今は避けられる)を防ぐ役にも立つのではないかと思い、自分でも童謡を弾いてあげられればと考えているんです。全く初心者なので自信のほどはないのですけれどね。

 明士:それは素晴らしいお考えですね!とっても良いことだと思います!もう介護状態になられてから時間が経たれていらっしゃるのですか?

 男性:はい。家に来て下さる若いヘルパーさんが一生懸命に介護してくださる姿を見ると、心から頭が下がるというか、お礼が言いたくなるというか、そんな気持ちで一杯になるんです。母のためにも自分が出来ることをやりたい気持ちがあるんです。

 明士:そうでしたか。(コムスンが色々騒がれているけれども、現場の介護の必要性は全く変わってなどいないんだよな…。そうなると、やはり必要性の高さに比例してコムスンの責任と罪は大きいな。)

 男性:そんなわけでして、店員さんに聞くと「売りたいもの」を勧めるでしょうし、それはイヤなので、たまたま通りかかってピアノが弾ける方がいらっしゃって、ご迷惑かとは思いましたが率直なアドバイスが欲しいと思ったわけなんです。

 明士:もちろん、ご相談に乗りますよ!例えばこれなんかどうですか??

 

 -そして、二人はシンセサイザーコーナーを歩きながら、話題に華を咲かせていったのである。-

 


 こうした会話を交わしながら、私が知る限りの機材購入のアドバイスをした。結局、実機検分をしながら、私の勧めた機種を買ってくださったようである。それにしても老いた母の活力と喜びのために、初老の息子がピアノ(キーボード)を始めようと言うのだ。私の心はただただ温かく、そしてうれしくなった。

 子が親を想い、親が子を想う。本当は当たり前のことなんだろうけれど、どうしてもこのところマスコミから流れてくる話題は暗いものばかり。気分が暗鬱になるのも一度や二度ではない。今や他人どころか親族殺しも日常茶飯事的に耳に入ってくる。

 一方で老母を想ってピアノを始めようと決意する初老の息子。どちらも確かな現実である。私は世の多くの家庭はこうした愛情ある方が圧倒的多数だと信じたい。何も「どこもかしこも」すべて荒廃しきっているわけではないのだ。健気に生きる人間の実相を見なければ、社会をあーだ、こーだなど論じることなど出来ようはずもないことに改めて気付かされる。マスコミやネットや知識人の情報は「それがすべて」だと思うと危険ということにもっと意識を持たねばならないと感じる。
 それにしても、あの息子さんの一生懸命さには感動が走る。話を聞いているこちらが嬉しくなってくる。私の一通りのシンセの説明後、深々と頭を下げて礼を述べていかれた。何とも爽やかな心地が私を覆っていた。西武新宿駅の楽器屋でのひとコマ。きっと忘れることはないだろう。

 

 帰り際、「あの息子さん、うまく上達してお母さんを喜ばせてあげられるといいな」と、私は梅雨入り直後の澄んだ青空を見上げていた。

 


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サファイヤ

読んだこちらも、すがすがしい気持ちになりました。
私も以前、今は亡き祖父に、老化の進行を遅らせるためにキーボードを買ったことがありました。指を動かすとか、歌うことは脳の刺激になっていいんですよね。

祖父は私が中学生の時に、クラブ活動用に楽器を買ってきてくれました。あの時の嬉しさがいつまでも忘れられず、その恩返しでした。

>マスコミやネットや知識人の情報は「それがすべて」だと思うと危険ということにもっと意識を持たねばならないと感じる。

その通りです。マスコミは言いっ放しで、後は知らん顔。そんなに問題ならば、徹底的に追及して解決すればいいのに、とその無責任さに辟易しますね。それに、いかようにでも情報の「操作」ができるんですよね。これは危ないです。
by サファイヤ (2007-06-18 19:55) 

銀鏡反応

世の中、全てが荒廃しきっているわけではなく、この息子さんのように、健気にお母さんの介護をしながら、懸命に、愛情豊かに、生きておられる人も沢山いるんですものね。

ネット、マスコミにあふれ、垂れ流される情報、または各種知識人の言っていること…それらだけをみて「世の中はこんなもの」と決め付けてはいけないのではないか。また、マスコミはこの世がそんなに悪いのなら、徹底的にその実態を追求し、その結果を誠実に視聴者の前に指し示すべきではないでしょうか。情報操作などという戦前からの手法は、これからこの国の人々がもっと賢くなれば(いまでも充分賢い方が大多数でしょうが)、通用しなくなるはずです。
by 銀鏡反応 (2007-06-18 20:57) 

kyao

どうしても我が身に置き換えてしまうのですが、少しでも様態が良くなるなら、何でもしてあげたいと思ってしまうんですよね。そうでなくとも、父や母が元気にしていた頃の様子をしっかり覚えているからなおさらです。

普段はほとんど表情を変えないようなお年寄りでも、口紅を塗って差し上げたり、歌を一緒に歌ってあげると、笑ってくれたり一緒に手を叩いてくれたりするのだそうです。
そのお母様が、息子さんの力によって少しでも良くなられたのなら、本当に素敵なことですよね。(^^)
by kyao (2007-06-18 21:30) 

barbie

相談された男性は参明学士さんのような方に出会われてラッキーでしたね。いいお話です。私はGUSOKUがおなかの中にいる時にちょっとでも胎教にいいかなと思ってショパンの子守唄を一生懸命練習してました。ちっともうまくはならなかったし、胎教の効果があったかどうかはわからないけど、ノクターンを弾いてたのはしっかりと覚えていてくれて、生まれてからその曲が鳴ると動きをじーっと止めて聞き入ってた事を思い出しました。音楽の力は偉大ですね。シンセとキーボードの違いは私もよくわかってませんでした。マンションでピアノの弾ける時間が夜の8時までと決まってるので練習用に何か買おうと思っているところです。
by barbie (2007-06-18 21:53) 

jasper

ちょっと凹んでいたので
こころが暖かくなりました。
ありがとうございます。
by jasper (2007-06-18 22:02) 

参明学士/PlaAri

★サァファイアさん、想いのある行動って誰からでも讃えられるような社会になってもらいたいですよね。年を重ねると「感動する回数が減る」のだそうで、それが一年を早く感じさせる要因でもあるのだそうです。この息子さんがピアノを弾いてお母様にささやかな感動を贈ってあげられることを期待したいですね。

>マスコミ

あまりに業界が酷いように見えるので、まともな人の言葉すら何だかどうでも良くなってきそうで我ながら怖いです。秩序なきマスコミ論理に呆れます。

★銀鏡反応さん、テレビやネットにも出てこない豊かな人間関係は確かに存在していると思います。こんな小さな画面や周囲の雑音だけが世の実相ではないはずですよね。この息子さんが良い例でした。

>マスコミの実態

書いている人間の人間性などを追及すると面白いかもしれません。他人の悪口など書けるような己の人格か?と言いたくなるような人間が時々世に恥をさらしていますよね。

★kyaoさん、両親・親族の元気にしていた頃と老いて来て何かの変化を感じる時とのギャップに往々として我々は驚きと戸惑いを隠せないものですよね。そして確かな現実を受け止めながら、考えうる手を打たねばならぬことの辛さだったり、苦痛を伴う選択だったりをせねばなりません。
生きるということは自分自身の生老病死との格闘でもあり、また、両親・親族のように強く結びついてきた人の生老病死との関わりでもあるわけです。件の息子さんはとにかく純真無垢な思いと態度がにじみ出る「温かい方」でありました。親と子の関わりが取り沙汰される現代ですが、悲観材料ばかりではないのだと感じるに十分な光景だったように思います。息子さんの顔を見ながらお母様の喜ぶ顔が遠くに見えるような気も致しました。

ピアノ、きっと上達してお母様を喜ばせて差し上げるのではないかなと思っておりますし、そう願うところであります。

★barbieさん、胎教って本当にあるのだそうですよね。息子さんも出生以前からとっても貴重な体験をされてきているのだと確信します。母の我が子へのそうした気遣い、心遣い、愛情…。私に質問してきたこの息子さんがお母さんへの愛情表現としてピアノ演奏を選ばれたこと、素敵なことですよね。

>シンセとキーボードの違い

本文中ではスピーカーの有無で表現しましたが、実は根本的な違いは「音作りが可能か否か」ということなんです。一般的なカシオのキーボードなどはスピーカーはついていますが、音作りは出来ません。息子さんはあの「光るタイプの鍵盤」は買わないと仰っていました。何故なら、光る通りに弾くクセが付くと、「光らないところ」では結局弾けなくなってしまうからとのことでした。なるほどと唸ったのを覚えています。
なのでキーボードよりもシンセを考えたいと言っておりました。シンセは音質も高いですが、値段も高い。そしてシンセにスピーカーは付かないので、別売りになってまた費用がかさむという話です。まずは音が出るか出ないかという初心者向けのアドバイスとしてキーボードとシンセの違いをお話したのでした。

>マンションでピアノの弾ける時間が夜の8時までと決まってるので

10万円以内のシンセをオススメしたいですね。8時を過ぎたらヘッドホンに切り替えるといつまでも演奏可能だと思います。ことのほか現代は技術が進歩しておりまして、10万クラスのシンセでも凄く音の良いものが揃っていますよー。

★jasperさん、元気は快復されましたでしょうか?私も数ヶ月に一度、落ち込むことがあります。そんな時はただ時が過ぎるのを待つばかりで、我ながら困ってしまいます…。そういう時にこそ暖かい心に触れたいなと無意識に思っているのかもしれません。
by 参明学士/PlaAri (2007-06-19 19:29) 

norinori27

心がほっこりするイイ話しですね~

実は私もこういう風に「お客さん」に聞いたことがあります(^^;)
貧乏学生の頃、単体のスピーカーが欲しくて秋葉原へ。
そこで聞き比べていた初老の男性に聞きました。
とても参考になり安くて良い物を購入出来ました。
by norinori27 (2007-06-20 09:02) 

いいお話をありがとうございました。
心が暖かくなりますね~(^^)
by (2007-06-20 13:35) 

りんたろ

お母様のために楽器を購入して練習しようとする息子さん、そのお手伝いができた明士さんも、暖かい気持ちが伝播して暖かい気持ちを育んでいくのだと思います。逆にイヤなニュースもイヤなことを呼び寄せるのかも。
本当は報道されるほど世の中はすさんでいるのではなく、普通に暖かく生きている人の方が多いのだと信じたいです。
by りんたろ (2007-06-20 21:55) 

barbie

コメントにレスありがとうございます。今、私はハーレーに夢中でキーボードを触る時間的余裕がないにですが、左手のリハビリを兼ねてまたピアノは弾きたいと思っています。先日見ていたのはデジタルで楽譜が表示される20万チョットの商品でした。10万円の予算で充分と知り安心しました。買うのが具体的になったら参明学士三に相談しようと思っています。その時はよろしくお願いします。
by barbie (2007-06-21 13:55) 

参明学士/PlaAri

★norinori27さん、店員よりも客の方がモノ選びに真剣ですから、実は商品説明はお客さんに聞いた方がいい結果になるということもあるでしょうね。そんな時は説明する側はあらん限りの知識と経験を語るような気がしますー。
私も熱心に語ってしまいました~。

★ありしあさん、息子さんのことを忘れることはないと思います。ピアノの上達を陰ながら祈りたくなりますね。

★りんたろさん、息子さんのような心の持ち主が実際はたくさんいるんだと信じたいですね。本当に私も心が温かくなりました。

>イヤなことを呼び寄せる

それはあるかもしれませんね。科学的な証明は無理でも、統計的には取れるかもしれません。報道が事件ばかりを流してますから、その連鎖反応で国民がおかしくなっているのかもしれませんね。

★barbieさん、実際は楽譜が表示されてもそれほど活用機会はないかもしれません。ピアノは大好きな楽曲を弾くことからオススメします。とにかく、10万円の予算があれば、相当良いものが手に入るはずですよ~。購入時期には遠慮なくご質問くださいね。
by 参明学士/PlaAri (2007-06-21 17:48) 

junper

ご無沙汰してます。
へぇ~、そんなこともあるんだなぁと、まずはびっくりしました。
こんな巻き込まれ方をするとかえってすがすがしくなりますね。いい話でした。
by junper (2007-07-01 17:28) 

だいず

こんばんは。
ちょっと前の記事みたいですが、
すごく良い記事だったのでコメントします♪

師匠に相談された男性は本当に素晴らしいと思います。
お母様のために楽器を始めることももちろんそうですが、
師匠に相談したことも良いことだと思うんですよ。
今の世の中って、家族でも友達でも他人でも、
人との関わりを積極的に持とうとしない
傾向があるんだと思うんです。
特に他人とは。
行きつけのお店の人と仲良くなったりだとか、
そういうちょっとした偶然の出会いみたいなのが
少ない気がするんですよね。
俺は幸いにしてそういう知り合いも結構いますし、
そういった方たちが支えになっていることもありますので、
そういう偶然の出会いのこと、
結構考えるんですよ。
相談した方が師匠に質問したのも何かの偶然なわけでし、
その方はお母様との間の親子という関係も、
ほんのひと時の師匠との関係も
両方とも大切になさっているのだと思いますよ。

長々とすみません。

最近やたらと暑いですが、
お体には気をつけてくださいね♪

ではまた。
by だいず (2007-07-03 00:25) 

参明学士/PlaAri

★junperさん、ご無沙汰いたしております!私も正直言って驚きました。何が驚いたって、もう一度あの店に行ったら、その息子さんがシンセを受け取りに来ていたんですよー。
遠目から見ていましたが、本当に買われて挑戦されるのだなと思いすがすがしくなりました。
あ、声はかけておりません。余計なあつかましさは必要ないですしね!

★だいずさん、相談して頂いて嬉しかったというのが率直な感想ですね。一瞬の出会いかもしれませんが、確かにこういう縁というのは決して無意味なものだとは思えません。その中で何らかのお役に立てたのなら、尚更嬉しいというものです。
一度の出会いを大切に考えるというだいずさんの心が、良きご友人を集める因になっているのでしょうね。
人とはかくありたいものです。
by 参明学士/PlaAri (2007-07-05 12:29) 

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