どうかそのままでいて [思索の散歩道]
どうしてそんなところにいるの
車よ、どうか動かないでいて
その花が咲ききって使命を終えるまで
花はどんな環境でも手を抜かないで咲いている
咲く花に理由があるか
人が生きるのに理由などあるか
たとえ明日が知れなくても、今を生きる
今、この瞬間を私らしく生きる
どうしてそんなところにいるの
車よ、どうか動かないでいて
その花が咲ききって使命を終えるまで
花はどんな環境でも手を抜かないで咲いている
咲く花に理由があるか
人が生きるのに理由などあるか
たとえ明日が知れなくても、今を生きる
今、この瞬間を私らしく生きる
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たとえ、この後に、車が動いて花が折られたとしても、この瞬間を伝えられて、わたし達にメッセージを与えてくれたことに感謝したいです。
by リックディアス (2005-04-30 19:15)
寂しいことを言うようで恐縮ですが。
この世に生を受けることよりも、この世に生まれてきて、それを他のものがどう受け取るか、どう受け継ぐか。その方が大切なのかもしれません。生きるものはすべて死ぬために生まれてくるのではなりませんし。
こうして参明学士さんを通じ、この子がこうして生きたことは、ブログを通じてみなさんに伝わりました。このことに大きな意味があるのではないかと私は思います。
by kyao (2005-04-30 19:29)
この車は・・・フィガロかな?
なんて、違う事を考えてしまいました・・・
by pon (2005-04-30 20:04)
生あるものは使命を終えて死に赴くまで、手抜きなしに生きる時間を精一杯に噛み締めていくものなのだ。人もそうでなくてはならない。
いまにもクルマの下敷きになりそうなこの花だって、彼にとっての死が間近に迫っているであろうに、「手を抜かないで生きている」のだ。
「人は生まれながらの死刑囚である」と、ある知識人は言った。
しかし、今の世の人は生きることについて、あまりにいいかげんというか、
精一杯生きていない場合のほうが多くなっているのではないのか。
いいかげんに生きている人は、空虚な毎日を送っているうちに生きる時間が
尽きてしまう。そのときに後悔しても遅いと思う。
私も如何なる環境においても、真剣に毎日を精一杯充実させて生きて
いきたい。わが身が使命を終え、死を迎えるその時まで…。
by shirogane-kagami (2005-04-30 23:26)
なんだか、切ないですね。
>どうしてそんなところにいるの
>世に偶然がないのなら、どうしてそんなところにいるの
という、明士さんの呼びかけにどきりとしたさちさんでした。
本当に、その通りだ
by deepmagenta (2005-05-01 01:11)
なんの花でしょう。こんな場所に一人ひっそりと・・・
私も今のこの瞬間を私らしく生きたいと思います。
by kanon (2005-05-01 01:45)
ハイロウズの「不死身の花」みたいですね。
現実に話を戻せば、少なくともこのクルマは「最後に雨が降った日」から今まで停車中のようです。すぐに動くかどうかはその「最後に雨が降った日」から推測可能ではある・・そうでもないか。難しい。
今日の一言
「理屈は時に退屈すぎる」
by arukakat (2005-05-01 02:19)
ペチュニア君、絶体絶命。運転手さんが気の付くことを祈りつつ。
by (2005-05-01 12:30)
ふまれても、立ち上がってクル、その強さがオイラには感じられました。
オイラだけかもしれませんが。。
by アキオ (2005-05-01 12:47)
リックディアスさん、この花がその身で何かを表現しようとしているんだろうなと、感じないわけにはいきませんでした…。今はどうなっているかな…。
kyaoさん、この世に生を受けることに何故私が価値を置くかと言うと、生まれながらの価値を肯定し保護しないといけないほど、人間は圧倒的に弱者として生まれてくるからです。馬や牛は生まれてすぐに歩き出しますが、人間は歩くことすら数年かかるという未熟な状態で出生しますしね。
そして、「生きている価値(楽しさや充足感)」をそれぞれが感じるにしても、「生きていなければそれを享受することができない」からなんですね。ですから、「生きていることそれ自体が価値」と考えることによって、哲学の第一歩としています。他事は全てその「生きている」という前提によって支えられているからです。もちろん、仰るような受け継ぐことの重要性はまさしく「是」と捉えられるべきものだと思っています。
ラスカルさん、この車、なんでしょうね…。う~ん。
銀鏡反応さん、そうですね。生のもつ高貴さと言うか、価値と言うか、代替することが不可能なものの意味するところ。そういった「自然」な有り様に根底からの価値を与えること。生きる意味とはきっと「それ自体」なのではないかなと感じてやみません。それが真実であると確認する術はなくとも、生への励みと活力になることは変わらないと思います。
さちさん、どうしてわざわざ、ここで咲かなくてはいけないのか。そんなことを考えてしまうものです…。
kanonさん、この瞬間をどう生きるか。その積み重ねが人としての歴史になっていきますよね。
arukakatさん、「理屈は時に退屈すぎる」…なるほど。至言ですね…。
水郷さん、運転手さん、気がつくでしょうか。念じて止みません…。
アキオさん、環境によらず自らを咲かせ続けるのでしょうね。そんな気がしています。
by 参明学士/PlaAri (2005-05-02 22:55)
言葉はいらない…。
美しい光景です。
by ブル (2005-05-04 08:12)
はじめまして〜♪
kyao さんのところでよくおみかけしますね^^
このこは、ここに生まれて、この環境に案外満足して楽しく暮らしているんじゃないかなと思いますよん。
このこがペチュニアであったために、美しい花が咲くということがあるために、
同じような状況でここに生まれて来たであろう、ペンペングサやスズメノカタビラのように速攻で引き抜かれることもなく、こうやって可憐に花開くことが出来たのですから・・・・・
たとえタイヤに踏まれて潰れても、根っこがちゃんとしてさえいれば再び逞しく再生するでしょう^^
トラックバックさせていただきました。
隙間から逞しく成長する姿が、うちの駐車場の住人たちに似ているなあと思ったものですから・・・^^
記事のメッセージが、かなりちがうため、不本意とおもわれましたら、
お手数ですが削除して下さいm(_ _)m
by kumako (2005-05-04 08:28)
ブルさん、この場所での花…。一幅の名画のように咲いておりました。
kumakoさん、はじめまして~。今後ともよろしくお願いします。TBもありがとうございます。kyaoさんにはチャット大会でもお世話になっています^^
なるほど。ペチュニアであったためにここに咲き続けられる現実。それも言えていますね。きっと花には自分が置かれている状況はわからない。今にも車の下敷きになるかもしれないなんてことは、まさか考えもしないで咲いています。人間もそういうものかなって感じるんですね。私も明日、この世を去るかもしれない。死ぬことを知らないで、今を生きている。この一瞬を大切にしようかなって思うんです。
by 参明学士/PlaAri (2005-05-04 09:53)