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第1回 『織田信長』 [思索の散歩道]

※新しいカテゴリー「明士の歴史人物評」をつくりました。教科書のように時系列に事実を追うのではなく、あくまで「歴史」という流れの中で人間のようなミクロの存在が示した社会に対する影響力、それを一連の法則のようなものとして認識できるように記述していきたいと考えています。これはもちろん私の持っている「主観」であることを否定するものではありません。哲学っぽい考えが混じるのは避けられないと思います。そしてなるべく簡潔に示していくことが目標です。それでは、第1回目の人物は「織田信長」です。


織田信長(1534~1582)

言わずと知れた日本の戦国時代の大名。幼名は吉法師。数々の逸話が残っているがその羅列は避けたい。日本の歴史に強烈な転換期をもたらした人物と言ってよいであろう。この時代、西洋ではエリザベス女王が台頭していた。彼女は信長より一歳年長である。洋の東西を隔てながら、ほぼ同時代を生きた強烈な2つの個性は「歴史」という人間が作り出した構造に興味を抱かせるのに充分な内容を持っている。

信長の特徴は単なる冷酷、残忍などでは表現することは出来ない。時代を読む力、すなわち人間に対する眼差しはどうであったかと考えることが必要だ。彼の特徴の一つには「無神論」が挙げられる。今回はそれに着目したい。信長の「無神論度合い」は当時の宗教勢力であった一向宗や比叡山の焼き討ちなどに見られるように徹底していると言える。このことを考える時にはある重要な見方が必要だと思う。それは宗教勢力自体の腐敗だ。信長は意味無く宗教を嫌ったのではないだろう。宗教は人間の精神に関わる分野であるが故に、中心者の私欲のために利用されることになるとひどく体制側としては邪魔な存在となる。そして社会構築にも弊害となるケースが多いのだ。明確な理念や哲学性・科学性を欠く宗教はほとんど魔物に近い役割を演じることになる。社会的に見れば不合理なことも、そういった宗教にかかっては「正しさ」と解釈されるからだ。実際に当時の宗教が社会貢献をしていたとは評価されにくいであろう。宗教理念の具現化が「暴力」ではいかんともしがたい。信長は徹底的にそれを排したと言ってよい。彼は怪しげな宗教を忌み嫌ったのである。伝来したキリスト教を排さなかったのは、それなりに彼に対しての説得力を持っていたからかもしれない。それと新しいものに対する柔軟な思考性も関係しているだろう。なにしろ初めて見せられた地球儀を「理に適う」と言ってのけるあたり、抜群の思考力と先進性を兼ね備えていた証拠であろう。とにかく古今の歴史において国の崇拝の的である総本山(日本でいう比叡山)を焼き討ち・皆殺しにした例などは見当たらない。カトリックとプロテスタントの戦いといっても、ローマにあるバチカンが焼き打たれ、法王が殺された話などは聞いたことがない。信長はまさにそれをやってのけた日本人だった。ケタ外れな「漢(おとこ)」である。

信長はその意味では「戦国の宗教改革」をやってのけたと言えるのではないだろうか。西洋でもカトリックの立場を疑問視する形で宗教改革が起こった。信長の遺産を引き継ぐことになった徳川家康などは、宗教政策も非常に慎重でしかも打つ手に抜け目が無い。それは宗教の持っているエネルギーをよく心得ていたからであろう。家康は何とも果報者である。信長のような男の生き様を、その身で学ぶことが出来たのだから。

蛇足だが、一方のエリザベスも宗教統制というか調整に心を砕いた人物であった。父である国王がローマ教皇に反旗を翻し、イギリス国教会を創始しただけあって国内の宗教勢力は2分されていたのである。舵取りは非常に難しいはずだった。現在でも続くスコットランドとイングランドの宗教性の違いを鑑みれば、宗教の持つ影響力の大きさを改めて知ることになる。およそ人間という存在が精神的活動を伴う実在である以上、「宗教・哲学」の問題を避けて通ることは不可能だろう。故に信長のようにそれに対するスタンスをはっきり天下に示すことも為政上重要なことなのかも知れない。信長のような鋭い人物にはエセ精神論は通用しなかったと言ってよい。織田信長は日本にそれまであった価値観を転覆させ、新たなる時代のために次世代の人間精神を構築しようと考えていたのではないかとさえ思えてくるのである。

幕末の傑物、高杉晋作が世界に誇る3人の日本人として挙げたのは織田信長、源義経、吉田松陰だったように記憶する。この誇りはまんざらでもないと感じるのだ。歴史の回転機軸になっていた3人の生き様は、洋の東西を問わず価値あるものだろう。何故なら信長でもエリザベスでもカエサルでも、「人間」というカテゴリーに属していることは世界中の誰もが否定できない事実だからである。そこには日本人だとか、外国人だとかいう分別は必要ない。生き様は全ての人間にとって有効なものであると考えられる。信長の生き様が指し示す方向とは一体何か。結論などは容易には決められないが、思索を持続していく中で考えを深めていきたいと思っている。

※次回は高杉晋作を予定しています。


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hi2z-to-39la_vvv

大好物ネタに歓喜のおたけびをあげた39laです(笑)
歴史好きの友にも早速メールしておきました♪
高杉晋作も楽しみです!
39laもぼちぼち 長州藩ネタ を書こうかな~と思えました。
楽しいです!最高です!歴史!!

高校の授業でタイムスリップして織田信長を助ける!
なんていうなんともキテレツなアニメをみさせられた記憶があります。
さすが歴史おたくの先生(笑)
でも彼は、それが自分の人生、といって自ら死に絶えました。
そういう想像が出来てしまう 男像 なるものを作り上げられるほどの人。
だったのでしょうか?・・・・・て、カッコよすぎますよね、信長(笑)
by hi2z-to-39la_vvv (2005-02-16 18:54) 

みみず

こういう、個人に着目した歴史の知り方をしてこなかったので、
興味深く読まさせてもらいました。
地球儀のエピソードで、信長の偉大さを感じました。
高杉晋作の回も楽しみにしてます!
by みみず (2005-02-16 20:39) 

アキオ

戦国無双からつづいてるのかな、
歴史を振り返ろう運動。。

織田信長は大スキですが
「太く短く」は個人的にはもう少し細くてもイイから、と言う事で「秀吉派」です。
「細くなが〜く」の家康はあまりスキでナイので、その間をとって。。
三人それぞれに、学べる所が豊富で、いつまでも愛されるでしょうね。
勇気と決断と割り切りと自信。
カッチョイイヒトですね、信長
by アキオ (2005-02-16 22:18) 

りんたろ

信長は「新しいものが好き!!」を合理的にやってのけた人でしたね。合理的過ぎて結局長く生きることができなかったのでしょうが、時代がそういう人を求めていたのかもしれません。彼は彼の役割を短い寿命の中でやり終え、秀吉や家康がうまいこと引き継いでいったのですね。
高杉晋作も楽しみにしていますよ。
参明さん、ドリンク剤でよみがえった?(失礼しました)
by りんたろ (2005-02-16 22:50) 

参明学士/PlaAri

39laさん、こんばんわ!歴史好きな女の人…、何となく珍しいですね(笑)。名を馳せた人物の影に必ず名もなき人がいました。その人たちが実は歴史の大いなる主役であることを忘れてはいけませんよね。著名人物は大いなる流れに寄与したのであって、流れ自体は「民衆」に備わっているものです。歴史の法則を考える時にはそのことを考えなくてはなりませんよね。

みみずさん、こんばんわ!信長という人は恐らく当時の日本の中で相当に科学的思考を行えた人物です。その生涯をほとんど領地外での戦いに費やし、国力の低下を最小限に抑えました。また過去の成功例に捉われず、ほとんどが桶狭間の合戦とは違う正攻法での戦さでした。それから彼には参謀の地位にある人物がいません。当時の戦国の世は彼が全て一人で考えたバランス・シートと言っていいはずです。科学的思考を行えない人物にできる内容ではありませんよね。信長の凄さはそういうところにもある気がしますね。

akioさん、こんばんわ!この人物評はとりあえず古今東西を問わず続けていこうかなと考えています。どうぞ、末永くお付き合いくださいm(__)m 秀吉もこの人物評の中で紹介していこうと思っております。もう少し時期は後になりそうですが…。秀吉の成功譚は滅ぶことなく語り継がれるでしょうね。下剋上の典型とされますが、言うなれば下剋上は「実力社会」と言えます。秀吉には秀吉たる所以があったはずですしね。それはまた後ほど…。

りんたろさん、こんばんわ!ドリンク剤で蘇りましたぁ(笑)。なぁんて、実は歴史・哲学専攻だったものでこういうのがライフワークなのです(本当っす)
そうですね、信長からは「新しいものが好き!!」の匂いがプンプンします。新しいもの(武器・思想・構造論)の中にはその時代の人間の叡智が凝縮されているとも言えますから、信長のような先進的な知恵と胆力で戦国時代を切り開いてきた人物には必要不可欠な要素だったのだと思います。時代が新しくなり、旧世代の構造を破棄しようと社会全体が動き出す時には信長のような役回りの人物は大成する傾向がありますね。ようするに彼自身、よく「彼を知っていた」ということになるでしょうか。
by 参明学士/PlaAri (2005-02-16 23:02) 

黄泉若宮

唯一人、世界に目を向けたことには触れないのかい。
by 黄泉若宮 (2005-02-16 23:27) 

「明士の歴史人物評」ですか!
とてもおもしろい企画?ですね!!
僕も歴史ネタが好きなので、ドキドキワクワクして拝見させていただきました!

ビバ!歴史っす!!
by (2005-02-17 03:14) 

革命児信長の底辺を支えていたもの。。。と考えるだけで面白そうですね。
「明士の歴史人物評」楽しい企画ですね。
次は高杉晋作ですか。晋作は、幕末から維新にかけての人物で水郷が一番好きな人物ですからこれも楽しみです。
by (2005-02-17 13:13) 

kiyo

僕も信長派です。
彼は徹底的なリアリストだったと考えています(あくまで私見です)。
黄泉若宮さんの言うとおり(論点は違うのかもしれませんが。)、信長は世界を意識してますよね。世界との窓口は宣教師でありキリスト教であり、キリスト教を否定してしまうと世界との窓口が閉ざされると考えたのかもしれません。ただ、世界ってのも、鉄砲の威力を認めればこそのような気がしてなりませんが。
日本を統一したら、その後彼は一体何をやろうとしてたんでしょうねぇ。気になります。。。
by kiyo (2005-02-17 16:46) 

参明学士/PlaAri

若宮さん、こんにちは!世界に向けた視点、本当はそれも書きたいところなんですがあまりに長文記事になっちゃいそうでしたので、テーマを絞らせて頂いています。細部に関してはコメントでの意見交換も可能かと思っています。

民生氏さん、こんにちは~。この企画いつまで持つか見てやってください(笑)早々と沈没したら笑ってやってください。でも、本人は結構やる気です(苦笑)

水郷さん、こんにちは!つい信長を書いちゃいました。どんどん加筆したくなっちゃいますがガマンガマンでテーマ絞りをしました。不甲斐ない内容かもしれませんがどうぞご容赦下さいm(__)m

kiyoさん、こんにちは!日本統一後に信長が考えたこと。一体なんだったのでしょうね。世界を股にかけての動きをついつい思考しちゃいますが、考えようによっては日本の本質的な安定を図ったかもしれませんね。事実、家康はそうしましたしね。家康は「構造的に日本を作り変えた」人だとすれば、信長は「人間そのものの発想を作り変えた」かもしれません。
個人的には信長の経済感覚は非常に優れていたので、家康は国を閉ざしましたが、信長なら逆に世界の中の日本を大きく宣揚し、大貿易家になっていたかもしれないなと思います。世界に目を向ければ当時は大航海時代でしたしね。夢は膨らみますよね。
by 参明学士/PlaAri (2005-02-17 17:17) 

ブル

はじめまして。
私も信長を尊敬して止まない一人ですが、
信長に興味をもったキッカケは、コーエーの”信長の野望”シリーズでした。
いまだに信長は英雄です。

今の世の中に必要なのは、信長のような破壊者(いい意味で)・改革者だと思います。
それだけ力を持った人が、マンガのなかだけじゃなくて、
実際に現れて欲しいなと、夢見ております。
by ブル (2005-03-01 22:43) 

参明学士/PlaAri

match73さん、はじめまして~。信長の野望は傑作ですよね。あれほど時間の過ぎるのが早いゲームも珍しい^^。
現代にでも信長のような感性と行動力と勇気を兼ね備えた、少しばかりアクの強い人間がでることを願うばかりですね。
by 参明学士/PlaAri (2005-03-02 00:44) 

ブル

こんばんわ。
きっと信長の野望にも独自の戦略をお持ちではないかと思ったので、
TBさせていただきました。
コメントを頂けたりすると、嬉しいです。
by ブル (2005-03-11 18:54) 

参明学士/PlaAri

match73さん、こんにちは!TBありがとうございます。拝見しに伺いますね~。
by 参明学士/PlaAri (2005-03-14 17:26) 

ふじりんご

今レポートを書いてんねんけど、比叡山の焼き討ちについて詳しい人はおしえて!!!!!!
by ふじりんご (2005-09-02 23:19) 

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