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理不尽 [一行哲学]

理不尽により人が強くなっていくことがある。人は理不尽からも学べる生き物だ。



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kyao

理不尽、すなわち「自分で納得できかねる事」っていうことですよね。大仰に言えば、自分のレゾン・デートルに関わることです。
人の人たる根幹に関わることですから、理不尽なことに接したときこそ、強くあらねばいけないですよね。(^^)
by kyao (2009-05-08 14:37) 

参明学士

★kyaoさん、そうですね。「納得できかねること」が社会ではたくさん起きてきます。そして、誰しも「自己の基準」というものを持っています。「理不尽」というのは、場合によってこの「自己の基準」を押し広げる「効きの強烈な薬」になることもあります。
つまりは理不尽に接するとき、レーゾン・デートルそのものをスプレッドさせうることも考えられます。あるいは、レーゾン・デートルを改めて再確認して、より強化できるという可能性もありますよね。

その意味で、「人は理不尽から学べることもあるのだ」と主張したいのであります。
by 参明学士 (2009-05-10 14:52) 

りんたろ

最近、理不尽に悩んでいますが、おかげ様でちょっと吹っ切れました。。。土日限定かも♪
by りんたろ (2009-05-10 15:32) 

木鶏

>「自己の基準」を押し広げる「効きの強烈な薬」・・・
となるものが理不尽と考えれば、対処・対応法もより柔軟
にできそうです。。。
by 木鶏 (2009-05-13 08:20) 

参明学士

★りんたろさん、コメントが遅くなり申し訳ございません。一行哲学が多少なりともお悩みへの処方箋になれば何よりです。

★木鶏さん、およそ「自己の視野」というものは、自らの力のみで押し広げていくのは難しいもので、ある意味では自己の環境が己を育てるとも考えられると思います。故に理不尽ということを無意味にするか価値にするかは己のスタンスに左右されるものですよね。
理不尽に接した時に、それからも学ぶのだという「考え方」を持っていると、仰るように柔軟な対応が導き出される可能性があるものと考えます。人間の偉大さは、こうした瞬間に垣間見えるものだと思えてなりません。

by 参明学士 (2009-05-13 09:23) 

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