洞察を陶冶し、行動は他者のために。哲学徒で鍵盤男子。
戦わないまでも、自分の弱さと正面から向き合える人は、十分に強いと思います。(^^) by kyao (2009-05-02 19:26)
“よく生きる”ということは、仰るように自己の弱さと向き合い、死ぬまでそいつと闘い続ける、ということなのだと、常に思います。自己の弱さと闘わず、妥協するようでは、常に何が起こるかわからぬ人生にあって、何処かでアシをすくわれ、道を踏み外しかねないからです。「将来何が起こるかわからない」世の中の性質のことを「偶有性」と呼んでいるそうですが、私達の中にも偶有性は潜んでいます。私達はそれを内包しながら、あらゆる誘惑に負けてしまうような己の弱さ、だらしなさと戦い続けるしかないに如くはないと思います。 by 銀鏡反応 (2009-05-02 20:47)
★kyaoさん、弱さと正面から向き合える…。それ自体が「戦い」とも呼ぶべきものかもしれませんよね。「強い人」目指して日々精進したいものです。★銀鏡反応さん、人間は誰しも欠点を持っていますよね。しかし、欠点があることが人間の価値を欠損したりはしないものと思います。欠点がある故に「それと向き合って、改善していこうとする人」は、限界のない向上の道を歩むことができるのだと考えます。>偶有性茂木健一郎さんのお話によく出てくる概念ですよね。私も全く同感であります。偶有性、そして諸行無常、それに加えて、そうした「うねり」の中にある確かな自己、あるいは実在。智者を目指していくためにも、それらを俯瞰したモノの見方を養い、かつ、そのような哲学を根拠に自己の人生を切り拓いていきたいと心から思うものであります。 by 参明学士 (2009-05-03 15:48)
ログインすると自身のブログで本ブログを紹介できます
このブログの更新情報が届きます
この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。
戦わないまでも、自分の弱さと正面から向き合える人は、十分に強いと思います。(^^)
by kyao (2009-05-02 19:26)
“よく生きる”ということは、仰るように自己の弱さと向き合い、死ぬまでそいつと闘い続ける、ということなのだと、常に思います。
自己の弱さと闘わず、妥協するようでは、常に何が起こるかわからぬ人生にあって、何処かでアシをすくわれ、道を踏み外しかねないからです。
「将来何が起こるかわからない」世の中の性質のことを「偶有性」と呼んでいるそうですが、私達の中にも偶有性は潜んでいます。私達はそれを内包しながら、あらゆる誘惑に負けてしまうような己の弱さ、だらしなさと戦い続けるしかないに如くはないと思います。
by 銀鏡反応 (2009-05-02 20:47)
★kyaoさん、弱さと正面から向き合える…。それ自体が「戦い」とも呼ぶべきものかもしれませんよね。「強い人」目指して日々精進したいものです。
★銀鏡反応さん、人間は誰しも欠点を持っていますよね。しかし、欠点があることが人間の価値を欠損したりはしないものと思います。欠点がある故に「それと向き合って、改善していこうとする人」は、限界のない向上の道を歩むことができるのだと考えます。
>偶有性
茂木健一郎さんのお話によく出てくる概念ですよね。私も全く同感であります。偶有性、そして諸行無常、それに加えて、そうした「うねり」の中にある確かな自己、あるいは実在。智者を目指していくためにも、それらを俯瞰したモノの見方を養い、かつ、そのような哲学を根拠に自己の人生を切り拓いていきたいと心から思うものであります。
by 参明学士 (2009-05-03 15:48)