中国の古い教え [思索の散歩道]
五才とは 智・仁・義・勇・忠(将に必要な五つの才能)
- 「智」とは乱れぬこと
- 「仁」とはよく人を愛すること
- 「義」とは期待を裏切らぬこと
- 「勇」とは罪を犯さぬこと
- 「忠」とは二心を持たぬこと
十過(将にあってはならない十の過ち)
- 勇があって死を軽んじる者
- 急いで心落ち着かぬ者
- 利を求めてむさぼる者
- 仁あって人を殺せぬ者
- 智あって恐れを知らぬ者
- 信あって誰も信じてしまう者
- 清廉にして人を許せぬ者
- 計あって油断する者
- 意思強きゆえに何事も自分でことをなす者
- 怠け者であるゆえに人に任す者
最初の5才というのは儒教の「仁・義・礼・知・信」とは違います。5つで区切られているあたりは中国っぽい発想とも言えそうですが。4番目の「勇とは~」が好きです。十過は一つでもあると将としてダメだそうです。厳しいですね。心が清いだけでもダメ、慈悲深いだけでもダメ、人が良いだけじゃダメ、自分で全部やってもダメ、人に任せてもダメ、何とも絶妙なバランス感覚を必要としますね。
はぁ、厳しい修行は続く…。
いい、これは自分への戒め、として
理想の生きる道への訓戒として力がありますね。
儒教の国と公言している国があんなだから、
儒教ってあまり好きじゃなかったのですが
これは、いいですね。
男子一国一城の主たれ、と言うのは、大好きです。
(男尊女卑、の思想ではなく(^-^;)
by アキオ (2005-02-12 09:15)
おはようございます。
水郷は「義」というものが気に入っています。でもなかなか凡人には難しいですね。「無為自然」てのもありますが。。それこそ厳しい修行が必要。思わず溜息ばかりなり・・・将たるもの全てこれを会得していても「狡兎死して走狗烹らる」場合もありますので何とも難しい。
by (2005-02-12 10:50)
十過を見ていると、「将の器にあらず」というような人たちが一国のリーダーだったケースが往々にしてあるような気がします。歴史が証明してきているし、これからも証明していくのでしょう。
将になるならないにかかわらず、伝えていきたいものですね。
「急いで心落ち着かぬ者」なので気をつけます。
by りんたろ (2005-02-12 19:09)
akioさん、こんばんわ!私も訓戒しているつもりでついつい違反しちゃうんですよね。五才もさることながら、十過が難しい。女性にまで「清廉」さを求めすぎてしまい、疲れさせちゃうこともしばしばでした。要反省ですね。ごめんね、(R、M、N、I)子。
水郷さん、こんばんわ!とりあえず、こうした哲学って頭に入れるのが先なのかもしれないですよね。私の場合はとりあえず入れないと、いざってときに出てこない。やっぱり十過が私の中には強く残りますね。この十のどれも触れないというのはとても難しいことのように思います。
りんたろさん、こんばんわ!確かに今のリーダーに五才十過を教えてあげたいですね。と、いうか知りなさい、みたいな気もしますね。
あ、私も「急いで心落ち着かぬ者」なので気をつけないと…(苦笑)
by 参明学士/PlaAri (2005-02-12 22:16)
明士さん、こんにちは。
私は十過がもしかすると全部当てはまる人間のようです。仰るとおり、「過」のネジの収まり具合をいつも環境に合わせて微調整できる能力が問われるのでしょうね。「信あって誰も信じてしまう者」より
by (2005-02-13 14:25)
木鶏さん、毎度です~。
十過を見ていると、よほど一流の将軍になることは難しいのだなと感じますね。それでも、あの全てに当てはまらないないことを念じながら毎日を送ることが以外と充実をもたらすのかもしれません。考えながら動く。動きながら考える。行動の中に知恵を発揮していきたいですね。
私も「信あって誰も信じてしまう者」です。でも、やっぱりダメなのだなぁと思います。疑うという意味ではなく、より思慮深くならなければという意味で…。
by 参明学士/PlaAri (2005-02-13 15:36)
「智」・・しょっちゅう心乱れております
「仁」・・愛してやみません。 何を?
「義」・・期待に負けるタイプです。ご存知の通り
「勇」・・罪を償って生きています。シャバでですが
「忠」・・浮気ってことですか。ちがいますね。
これは手帳に書いておきます!!
by (2005-02-13 19:51)
ほぇ〜〜。
興味深いですね。
恐れるものの存在の強さに
へぇ〜っ。と気になりました。
恐れは畏れるから恐ろしい
畏れを感じる心があるからこそ将になり得る、か。
by 紬 (2005-02-13 23:29)
スナさん、毎度です~。五才の状況、ありがとうございます。浮気はダメですよ~。浮気は…。私は一途ですから(自称)
紬さん、こんばんわ!恐れを的確に捉えることから、恐れの回避方法を考える。その知恵の源泉なのでしょうね。しっかりと恐れていくということは。
by 参明学士/PlaAri (2005-02-14 01:10)
うーん、深いですね。
特に十過の十番目・・・部下に任せるといいつつ自分が怠けていないかと、思わず考え込んでしまいました。まぁ生まれながらに「将の器」である人はそうそういないと信じて、こういう先人の言葉を心に留めて、自ら考えながら歩んでいくしかないなぁと思います。
by masane (2005-02-14 12:39)
まっすぐであることも辛いことなのでしょうね。
なんとなく読んでいて友を思い出していたのでした。
・・・・・・て、友達、知らぬところで二次災害(笑)
映画で モーゼの十戒 をみたのですがあまりピンとこず・・・・・
参明学士さんのこの記事の方がわかる気がするのでした(笑)
by hi2z-to-39la_vvv (2005-02-14 17:35)
masaneさん、こんばんわ!この十過の一つも該当しないという人はほとんどいないと思います。このバランスを決めていくのもやっぱり自分ですしね。将の器は一日にして為らずですね…。
39laさん、ここにも!ありがとうございます~m(__)m 友達を思い出すのですか?二次災害…、何となく心当たりも(笑)
モーゼの十戒とはやはり異質ですね。人間を従わせる戒と、人間を活かす戒。処世術・哲学としての体裁を維持しているのが五才十過なのでしょうね。
達成までには相当な苦戦が強いられそうですけれど…(涙)
by 参明学士/PlaAri (2005-02-15 03:16)
かっこいいなぁ。
中国の言葉ってどれを見てもカッコいい。
でも、「十過」見ると、果たしてそんなことができる人っているんだろうか?と思う。
だけど、これに照らし合わせると自分の性質が見えてくる気がした。ときどきこの言葉を見て自分を客観視することが必要だなぁと思う。
by まさ (2005-02-15 22:41)
まささん、こんばんわ!いつもありがとうございます~。正直に言ってこの五才十過はハードルは高すぎますよね。将軍ならこのハードルの高さを越えなくちゃならないと言うことなのでしょうけれど、民間人の我々はこれらを意識することによって徐々にでも体に覚えさせられればそれで良いかとも思いますね。
何せ戦国の世とは違って、長い時間をかけて挑戦してもよいわけですからね。
by 参明学士/PlaAri (2005-02-16 00:43)