苦い思い出 [明士の日々]
私は小さい時から「美的センス」というものが異様なほど欠如していた。
だから、小中学校の「図画工作」や「美術」などという時間は苦痛以外の何者でもなかったのである。
いつだったか、授業で先生が「今日は『星』を描きましょう。」と言った。早速私は「星」を描いたのだ。なんとクラスで一番早く私が書き終わったのである!
それを見た先生がいきなり私にこぶしを挙げたのだ…。
ゴ ン ! ! !(痛っ)
明士ィ!!いい加減にしろ!!
私の頭はまるで木魚のようにいい音が鳴ったのである(涙)聞いている人はどんなにか快音だったろう(涙笑)
ところでどんな「星」を描いたかと言うと…。
英雄の困難 [明士の日々]
学生時代というのはとにかくお腹がすくものだ。私は学生時代に寮に住んでいた。食事は提供されない所である。100名程が同居しており、各人が食糧確保に必死であった。ある日、4名からなる食糧確保部隊が結成された。この部隊は特殊な任務を負っている。任務をまっとうすれば英雄になることができる。
その任務とは「焼肉食べ放題の店に侵入し、大量の肉を寮に持ち帰ること」だ。
用意するものは大きなゴミ袋を2つ、旅行用のバッグを1つ、あとは車である。4人は戦場に到着後、慎重に席を選ぶ。人目につきにくいところ(要するに死角の出来るところ)を確保し、せっせと肉を食べ始める。もちろん、周囲の雰囲気をうかがいながらである。店員の位置、客の視線、肉詰め作業のための死角の確保と、さながら戦場である。
作戦は実行に移され、2名が次々と肉を 自 然 な 形 で運ぶ。残りの2名がすみやかに宝物をゴミ袋へと誘導する。この作戦は決して急いではならない。急激に肉が減ると店員に勘ぐられる恐れがある。ある種の忍耐力が伴う。食べ放題は2時間と相場が決まっている。つまり2時間ぎりぎりまで粘らねばならない。他の客と同じく食べているから肉が減ると思わせるカモフラージュをかまさないといけないからだ。つまり、他の客すらこのミッションに消極的に参加させられているのだ。そしてゴミ袋(宝袋)をパンパンにつめて旅行バッグに収納し、席を立つ。ゴミ袋2つ分というから数十キロにはなっていたはずである。このミッションの成否はここからがまさに勝負なのだ。この旅行バッグは、半端でなく重たいのだ。4人のうちで一番の力持ちがこのバッグを持つのだが…。
「持って立ち上がったはいいが、あいつ、よろついてやがる…。(明士談)」
当然バッグを2人で持つような愚劣なことをしてはならない。このミッションはまさに正念場に差し掛かっていた。平静を装って無事にレジを通過しなければならない。もちろん、会計は一括で一人が担当している。支払いは無事に終わった。店員もよろつきには気付いていないようだ。そして英雄になれそうな4人がその店をまさに出ようとした時、
「お客様、少々お待ち下さい。」と、店員の声が彼らの背後を襲ってきた…。
あ、悪夢が…。起こってはならない瞬間がまさに英雄にならんとする4人に迫っていた。顔面は青色に染まり、口は小刻みに震えていた。4人の同志は互いの目を見つめ絶望の彼岸に立ち尽くしていた。あれほど重たかったバッグも、今やこれから起こる悲劇の重篤さから比べれば非常に軽いものに感じられた。彼らの挑戦はここで打ち止めにならんとしていた。英雄候補は断頭台に運ばれる感覚を否定しなかった。
そして店員が早歩きで4人のもとへ近づいてくる。運命の瞬間は近づいていた。店員が4人を裁かんと口を開く…。
心から悔いていること [明士の日々]
暖かくなる季節に入ってくると、どうしても忘れられない出来事を想起してしまう。このようなことをblogで書くのはどうかなとも思うが、自分の記憶の整理と私が思索する習慣がついたきっかけを忘れないために書き記しておきたい。
3日ほど更新が止まります。 [明士の日々]
私事ながら、地元へ今頃になって帰省することになりました。
よって更新が3日くらいは止まるかもしれません。モブログで投稿する可能性はありますけれども、コメントへの返信が出来なくなります。戻ってきましたら必ず返信します。
来て頂いた御礼に、ちょっとした息抜きを置いておきます。
チョコの思い出 [明士の日々]
バレンタインデー。
世の男の人のように期待して過ごしたことはないように記憶する。
「貰えるかも…。」と、思える人から貰ったためしはない。
いつも、意外なところからだった。
高校生の時。クラスは10組まであった。
私は1組。来た人は10組とか。見たこともない人だったりした。
最初に貰った時はうれしいというか、動揺したな。
複数貰って悪い気がしてた。別に浮気でもないのに。
手紙までしっかり添えてあった。
3月14日…。チョコに慣れていなかった私は最低の行動を採った。
休んだのだ。学校を。逃げたのだ。
ホワイトデーに返すことも怖くて…。
本気のチョコを相手にどうしていいかわからなかったのだと思う。
「うぶな少年」と言えばそれで許されるかもしれない。
だが相手はどう思ったであろう。今となってはわからない。
申し訳なく思う。心から。
改めて私は最低だったなと感じる。
何故なら次の年はバレンタインデーの日に休んだからだ。
全くどうかしている…。
2月14日が来るたびに、私の胸をくすぐっていく感触。
誰かに聞いてもらいたくて書いているようだ。
今となってはチョコを貰えばうまく対処できるようになっている。
一生懸命に「自分らしさ」で返すチョコの内容を考えている。
年月を重ねるたび、バレンタインデーが楽しみになっているようだ。
そんな自分がいることが「チョコッと」だけ成長を感じさせるのである。
歯、治療中。よって食事制限 [明士の日々]
親知らずを治療中。抜歯に失敗しましたので猛烈に痛いです。
ゴハンも食べられないので写真だけ。食べたい方は小樽水族館の近くの食堂へGO!!本当にうますぎたなぁ。これ。
あぁ、歯が痛い(涙)
kiyoさん発「愛する人がいる風景」に初参加 [明士の日々]
初めてトラックバック企画に参加させてもらいます。緊張しますね。色々悩んで、何の写真を出そうかなぁと考えていました。私の実家にいる、いとこを「愛する人」として出してみます。親族に言わせると彼は幼い頃の私にそっくりだそうです(笑)
ちなみに家の庭はこちらです。
恥ずかしいなぁ、もう…。 [明士の日々]
小学3年生の時にクラス替えがあった。
その小学校はクラス替えは6年間で一度だけである。
3年生の時に記念に先生が小冊子を作ってくれた。
クラスのみんなのプロフィールや、思いを綴った本である。
そこには『1、氏名、2、血液型、3、好きな食べ物etc…』等々を書くのだ。
その中に『5、好きな人』という項目があった。
好きな人かぁ…。うーん…。
私はひそかに好きだった「よーこちゃん」の名をバカ正直に書いたのだった。
そして原稿を提出し、後日出来上がってきた小冊子を順番に開いていった。
最初のページから開いてみる。
50音順に並んでいたからア行の人のプロフィールが目に飛び込んでくる。
そして私は凍りついてしまった…。
『5.好きな人…おばあちゃん』
えっ?!おばあちゃん??『好きな人』ってそういう風に書くのか!!!
私は小学3年生にして好きな女の名を堂々と永久に残る書類に刻むとは…。
まだ10歳にも満たない少年だったが、私は焦った。
他の人のページをまさぐるようにめくる。
皆、『お父さん、おじいちゃん、お母さん、先生』などと書いている…。
あぁ。なんということだ。確実にこれをよーこちゃんが目にする。
もう終わりだ。私の淡い恋は終わったのだ…。
少年の私にとってはかなりの悲劇だったことは言うまでもない。
当時、本当に本当に、恥ずかしかったことを鮮明に覚えている。
それ以来、よーこちゃんとは目を合わせた記憶が残っていない…。
悲しかったこと…。 [明士の日々]
小学校の頃、職員室にキタキツネがよく来ていて餌をもらっていました。
ある日からそれが禁止になって、先生達は「癖になるから」と言って、キタキツネが来ても心を鬼にして窓を開けず無視することになりました。
彼は夕方にやってきました。窓を「コツンコツン」と叩きます。「いつもと様子が違う」と思ったのかとってもさびしそうな表情をしてトコトコと帰っていきました。
それから何日も何日も職員室に来ていました。それで窓を叩くんです。先生達も目を真っ赤にしてこらえていました。そして彼はついに姿を見せなくなりました。
僕は泣きました。ただ、泣いていました。
実家だべさ…。 [明士の日々]
実家の庭です。夏はここでバイクを転がします。心地よい風が吹いていますよ~。誰かご招待しますよ(^_-) 私自身、帰りたくなってきちゃいます。ここで、本を一冊だけもって読みます。疲れたら「パサッ」と大地に倒れこんで、大地に抱かれて寝ます。夏には思いっきりアコギを弾いて歌ったなぁ。
建物はどういう風に見えるかと言うと、こういう感じです。自然との共生という言葉がピッタリでしょうか。自然に抱かれて建物があるのです。写真の建物も実はものすごく「大きい建物」ですが、大自然の中ではこのように見えます。
実家の冬です。凄~く寒いです。でも、本当に空気が澄んでいて見も心も引き締まる寒さです。深呼吸すると冷たくて透明な空気が体に入ってくるのがわかります。とっても広いです。見てわかるとおり。叫んでも全然問題ないです(笑)
一つだけ確認しときます。ここ、日本です。
北海道の美味 [明士の日々]
実家からROYCE´の生チョコを送ってもらいました。これ、本当においしいですね。北海道と言えば「白い恋人」ですが、この生チョコはそのうちに白い恋人を追い抜いていくのではないでしょうか。私は普段はまったくチョコレートを食べませんが、これは冬のホットコーヒー(ブラック)にピッタリです。食べながら本をよんでいます。不思議とリッチな気分です(^_-)
方言が商品になる!! [明士の日々]
内地(あえてこう呼びます)に住む道民のみなさま!朗報です!
内地でもザンギ味が楽しめます!
確かに、ザンギみたいな味がしました!!
次は内地でガラナを飲みたいっすねぇ!!
ジブリ ジブリ ジブリ?!その2 [明士の日々]
以前にもアップしました、ジブリ名作劇場その2です~。
よくぞここまで個性的なキャラクターを創出できたものです。宮崎駿監督の豊かな想像力に憧れます。子供だけじゃなく、大人にも夢と感動を与えてくれます。
はて…、よ~く見ると今回もやはりジブリじゃないのが混ざってますねぇ。
今回はわかった方は「nice!」をください(大笑)
答えは後ほど発表!!
吉川英治に弟子入りに行ったという私のじいちゃん。 [明士の日々]
私は小さい時から歴史や伝記が好きだった。
話題の合ういい友達がいたとか、いい本にめぐり合えたとか、環境は良かったとは思う。
吉川英治の『三国志』なんて、何度読んだかわからないほど好きだった。
小学生の頃、「三度の飯より三国志」と講談社がキャンペーンをやった。
まだ小さかった私はそれを鵜呑みにして、「三度の飯より三国志」を実行した。
躍動感ある英雄たちの立ち振る舞いにしびれていた。
三国志の武将を、日本の戦国武将と照らし合わせながら、空想で戦わせたりした。
胸がおどった。わくわくした。「曹操と信長はどんな話をするだろう?」と。
私が大きくなったある日、母さんが言った。
『じいちゃんはね、昔、吉川英治に弟子入りに行ったのよ。』
驚天動地だった。
知らなかった。そうだったのか、あの吉川英治に弟子入りに…。
「お前はその孫だからね…。隔世遺伝ってあるのかもね。」と母。
母は言った。『じいちゃんとお前で話して欲しかった。じいちゃんは話し相手がいなかった…』と。
そう、じいちゃんはもういない。私の記憶にないほどの幼いときに亡くなっていた。
「じいちゃん、今度ゆっくり話そうか。オレが話し相手になるよ!一生懸命に吉川英治を勉強したからね!」と心でつぶやく。
あの日以来、私は叶うことのないであろう、じいちゃんとの会話を夢に持ち続けている。
ジブリ ジブリ ジブリ?! [明士の日々]
ジブリの名作劇場ですね。皆、スクリーンを所狭しと駆け回っていましたね。それぞれが私たちに夢を与えてくれました。
…ん、おや??よーく見ると、なぁーんか違和感のあるキャラが約1体…(笑)
いや、逆に違和感がないのだろうか?!
わかった方は、nice!を進呈いたします(大笑)
妹が消えた…。 [明士の日々]
もうどのくらい昔の話だろう。夕焼けがとってもきれいだった日。
私が小学生だった頃のこと。学校の参観日終了後の親と先生の懇談会の時…。
私と友達は学校の近くで跳ねて遊んでいた。
すると、親と先生が血相を変えてこちらに飛んできた。
『ミッチ(仮称)がいなくなった!そしてその友達のミサ(仮称)も!!』
親が目を放した隙だったのだろう。心当たりのある公園や友達の家を片っ端から当たっていった。
いない…。一体どこへ…。気が気でなくなってきた。
家の近くの小売店のおじさんまでもが話を聞ききつけて、探してくれた。
ケータイも無い時代、時間だけが過ぎ去っていく。きれいな夕日が沈もうとしていた。
小売店のおじさんが『見つけたよ!!2人とも!』と笑顔で戻ってきた。
おじさんとは対照的に二人の顔は涙でグシャグシャになっていた。
『どこに行っていたの??』と私。
『おっきいおっきい風船を取りに行ってたの。でも、いくら追いかけても取れなかったの…。』
「風船??」私には思いつかなかった。もちろん親や先生も。
『そんなに大きな風船なんてどこにあるんだい?』
2人が指をさしたその先には大きな夕日がその身を赤く染め地平線に沈もうとしていた…。
夕日を風船と思い、随分と追いかけたのだそうだ。見つかったのは町外れの小道。普通に考えると、とても少女二人が歩ける距離じゃない。
『追いかけても、追いかけても、全然捕まえられないんだよぅ…。』と涙にかすれた声で訴える。
もう夕日が沈みかけて「絶望」していた時におじさんに見つけられたのだろう。
当時、私はなんてバカなことをしたものだと思っていた。夕日を風船と間違えるなんて…と。
だが、今は違う。夕日を風船と思えるなんて凄いと思う。その心がいいと思う。美しいと思う。
昔の妹とその友達の純粋な行動に、今の私が大切なものを教わるということなのだろう。
私も妹も大きくなった。大人になってしまった。あの時のことを話すことはないが、今、話すとしたらどんな風に回想するのだろう…。どんな風に…。