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できそこないの男たち(福岡伸一) [本ココ!]

できそこないの男たち (光文社新書)

できそこないの男たち (光文社新書)

  • 作者: 福岡伸一
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2008/10/17
  • メディア: 新書

 『生物と無生物のあいだ』を著したことで知られる分子生物学者の福岡伸一氏による著作である。文章力に定評のある著者だが、本書でもその力が遺憾なく発揮されている。男女の性差が何によって決定付けられるのかを丁寧に説明している。
 人間のデフォルトは「女」であること、それをカスタマイズして「男」ができあがることを遺伝子の振舞いを通して解説する。タイトルの「できそこないの男」という表現は、能力や機能としての「できそこない」ではなく、男というものの誕生の経緯が「女のできそこない」であるという意味である。これらの知見は分子生物学の進展なくしては得られぬことばかりである。

 それにしても人間のみならず、生物の仕組みというのは何とミステリアスなのだろう。前著「生物と無生物のあいだ」ではワトソンとクリックによるDNAの発見に至る経緯が書かれていたが、その途方もないDNAの情報量を連綿と繋ぐ生殖の仕組み、女がデフォルトをカスタマイズしてまで男を生み出さねばならない理由、遺伝子の中で性差を決定付けるために存在する記述の発見など、読み手をして興奮に誘う内容で本書は満ちている。

 「生きる」という当たり前の日々を送る我々人間。しかし、その「生きる」ことを根源的に「生み出してきた仕組み」のことなど露知らぬ我々。人間が己を知るということがまったく遥かであることを嘆息交じりに感じざるを得なくなる。分析哲学の祖といわれるヴィトゲンシュタインは、「我々が何を考えることが出来ないのかを考えることはできない」と述べていた。若干意味合いは異なるが、この分子生物学のような学問の進展により、人間自身の成り立ちに関しては「考えることが出来ない領域を狭めていくこと」を実現できているように思う。ざっと700万年ほどの歴史を人類は持っているという。人間のプログラムの実体であるDNAの存在など考えることが出来なかった時代がある。それを思考可能な範疇に誘導してきたのが科学の力であろう。著者は生物学は「HOW」には答え得るが、「WHY」には答えることができないという。この「WHY」に解を与えるもの。人類は科学・宗教・哲学を止揚させて、万人を安らかにする解を求めていくべきであると私は考えている。

 ともあれ、本書の内容について個人的に刺激を受けた箇所がある。それは遺伝子(Y染色体=男性の根拠遺伝子)の解析から人類の系譜を辿る取り組みについて書かれている点である。ここでは日本人の系譜についても書かれており、非常に興味深い論考が示されていた。近年、ナショナリズムを声高に叫んで排外主義を採り、レイシストそのものの体を為す連中が散見されるようになっている。著者は天皇家の万世一系という考え方について、Y染色体の観点からその是非を捉え直している。
 また、日本民族というものの成り立ちについても言及しており、日本人男性のY染色体の多型性から判断すると、日本が単一民族であるという主張は到底成立しないとし、むしろ日本列島は「人種のるつぼ」であると論じている。大陸の人間と日本列島の人間の関連についても遺伝子的に相同が容易に認められ、大陸人の遺伝子分岐の時代は約3,300年前、その移動が2,800年前と推定されるそうだ。まさにその時代は歴史学でいうところの「弥生時代」であり、稲作や鉄器を持ち込んだとされる「渡来系弥生人」の存在が遺伝子レベルで追認されることとなった。その子孫が我々日本人である。日本は大陸の国々と一衣帯水の国であることが遺伝子レベルで肯定される事実を見るとき、偏狭なナショナリズムや単一民族を誤信することによる排外主義がいかに実態とかけ離れた暴論であるかを改めて確認した次第である。詳しくは本書を参照されたい。
 なお、全ての人類の遺伝子を辿っていくと、やはりそれはアフリカに行き着くとのこと。人類発祥の地、アフリカ。約700万年前のものとされる人類の頭蓋骨もアフリカ・チャドで発見されている(トゥーマイ)。

 最新の科学的知見が、最古の我々を辿らせる。
 人間が科学の力を使って過去を知り得るならば、また、未来をも見通すことが出来るであろうか。否、未来を制御し得るのは「人間の意志の力」であると私は信じたい。

 蛇足になるが、本文中にある「人間は考える管である」との生物学的知見からの言葉は非常に味わい深いものであった。


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銀鏡反応

最近とみに多い、排外主義を声高に叫び、日本人は単一民族だと言い張りつづけるレイシストの輩にこそ、この福岡さんのホンを読むべきだと、心の底から思います。

若しこのホンを彼等が読めれば、自分達の考えかたが、実態と生物学の、両方の見地から如何に遠くかけ離れた非科学的な暴論でしかないか、ということを、彼らにじゅうじゅう思い知らせることになるでしょう(そうなるかどうかは彼等次第かもしれませんが)。

生命は如何にエニグマに満ち、神秘性に溢れているものなのでしょうか。女性こそが生物(生命)のデフォルトであり、男性はそれをカスタマイズした結果生まれてくるというのは、私自身非常に興味をそそる説でもあります。

考えて見れば、女性こそが生命を宿し、育み、外界に生み出すことができる唯一の力をもっているのですものね。生命尊重を貫くなら、まずはデフォルトである女性を迫害するような風潮を、世界のあらゆる所から転換しなくてはなりますまい。

そのためにも、このエントリーで言われているように、思想・宗教・哲学をアウフヘーベンさせることも必要かなと思います。
by 銀鏡反応 (2009-07-22 22:06) 

アキオ

魚類やは虫類は、成長してからメスがオスになる種は珍しくないんです。

つまりは、、、そういうことでしょうね。
メスだけになっても、オスに変化する個体がいるから
種を残していける。。

っって、いつも思うのは、
完全体なメスがうまれれば、自己増殖出来るんでしょうかねぇ。。

それとも、クローンはダメ、と自然の摂理として禁じられてるので、
そうなってないのでしょうか。。
by アキオ (2009-07-23 06:35) 

参明学士

★銀鏡反応さん…そもそも冷静な人々は日本が単一民族であると思ってなどいないのですが、こうして生物学的見地からも実証されることに歓迎の意を示したいところですね。根本的な問題意識からみれば、例え日本が単一民族であったからと言って、排外主義が容認される根拠はどこにもありませんよね。誇りと差別が同居するなど、実に違和感のある態度ではありませんか。

>女性こそ生命を宿し

精子と卵子の結合から細胞分裂の過程を見るにつけ、デフォルトが女性であることが裏付けられるわけですが、その遺伝子解析の進歩の実態にも驚きを隠せませんでした。科学の進展が冷静に世の真実を紡ぎ出していく様を見る時、人間能力の底知れない力に畏敬を感じますね。
本文にも書きましたが、高度な科学、そして高度な人間の思想・哲学が止揚して、人類の未来を照らす「真実の英知」が創造されることを願ってやみません。

★アキオさん…本書にも書かれているんですが、仰るような「メスがオスになる、メスが必要に応じてオスを生み出していく」というような実例が紹介されています。DNAを伝えていくための縦糸がメスならば、時折それを補強するために用いられる横糸としての「オス」がいるという解釈も記されていますね。
どうしてもオスはメスというデフォルトのカスタマイズという「欠陥品」であるが故に、病気にも弱く、精神ももろく、そして寿命も短いのだと説明されていましたね。男としては複雑な気持ちになりますが、認めざるを得ないなと思いました…。

>完全体なメスがうまれれば、自己増殖出来るんでしょうか

これも本書に書かれていましたが、「メス」しか生まない虫がいるのだそうで、それこそ完全なる母親のコピーだということです。メスがメスしか生まないので、メスばかりで、かつ胎生なのです。精子が必要ないんですね。面白いのは冬になると寒さで個体維持ができないので、わざわざ遺伝子を欠落させてオスを作り出し、メスの交尾にあたります。メスはこの時ばかりは卵を産み、冬の寒さを耐えて春先に孵化するというスキームをとります。オスはひたすら交尾のために使われて死んでいきます。むごい話ですが、子孫を残すためにやむなく登場する「オス」。いかにメスの使い走りなのかということが分かりますね。

ただ、人間に関して言えば、種を残していくために男女は「共存関係・相互補完関係」にあると見ることが「概念」として正当であるべきと思いたいですね。真実、女性がたくましく強いことは経験的に分かっていますから、せめて「男」という存在が女性に見限られないように「きちんと生きていかねばならない」と身を引き締める次第であります。
by 参明学士 (2009-07-27 00:32) 

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