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許す [一行哲学]

本質的な「許し」の為には、相手の全体を寛容する自己の心構えこそ必要である。

 

一行哲学


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銀鏡反応

>相手の全体を寛容する自己の心構え

…これこそ、出来そうで、なかなか難しい心構えなのですが、本質的に相手を許すには、この精神的スタンスが如何しても必要なのを感じます。

相手の全てを大きく包み、その過ちを許す、海のように広く大きな心構えが出来るよう、常に寛容であれと我が心に言い聞かせてゆかなくては、と思います。
by 銀鏡反応 (2009-06-13 18:04) 

kyao

一般的に「許す=自分が我慢をする、自分の気持ちを押さえ込む」みたいな図式が成立してしまっている部分がありますよね。同様に「寛容=仕方がないものとして諦める」みたいな。
そう思うと、真の意味で「相手を許す」という行為がいかに難しいものかを痛感します。

by kyao (2009-06-14 14:28) 

参明学士

★銀鏡反応さん、「許す」ということが単純に怒りを収めるとか、諦めるといった「後ろ向きな構造」を持ってしまうと、人間の質的向上とは逆方向の「許し」になってしまうように思うのです。より積極的な意義を見出す「許し」を身につけることによって、自他共の人間的「幅」の広がりを獲得することができるものと信じます。

★kyaoさん、仰るように「真の意味で許す」ことの難しさは相当なものであると考えます。ただ怒る、ただ諦める、ただ受け流す、というような態度のみで許すのでは自他共に何らの将来的な益にならないですよね。
人間は大人もいれば子供もおり、それぞれの経験があり、人格的境地があり、レベルがあり、成長度があるわけで、そこの「差」というのは事実として受け止めていかねばならないと思います。つまり、本質的な許しに一歩でも近づいていくためには、その差を「積極的に寛容していくことを自己に内在させる作業」が必要だと思うのです。まさに、その意味で「許す」ということは、自己の人間的度量に関わってくる問題であると感じています。
by 参明学士 (2009-06-15 13:29) 

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