SSブログ

60歳の自分 [エッセイ]

 知人から連絡があった。「秋に結婚することになった」のだと。

 その割にはトーンは低め。久しぶりに会話したせいもあったが、どうも様子が気になった。彼とは共に夢を語り合ったことが懐かしい。青年期は上昇志向があって当たり前である。そして葛藤が寄り添ってくるのも当たり前である。やりたいことと現実のギャップ。苦労を励ます何かの本を探しては自分を奮い立たせたり。成功者の語りを熱心に聞いてみたり。

 楽器をやっている人ならわかるかもしれない。

 「重いマーシャル運んでた腰の痛み、まだ覚えているの?」
 
※マーシャル=ギターアンプ

 とあるアーティストの歌詞だ。

 夢や希望ばかりで生きてきた青春時代。どこかの誰かが揶揄してた。「男は夢を食って生きている。女は現実を食って生きる」と。そんなものかな。
 どうだっていいさ、そんなこと。

 彼はこれからの生活を素直には喜べないようだった。自分の行き先が決まってしまったかのように感じるのだそうだ。結婚ともなれば立派な主人である。家庭を守り、子を育て、社会の真っ只中で奮闘する。そんな「当たり前」がイヤなのか。自分らしさを発揮する機会がなくなりそうなことを嘆くのか。確かに彼は人生について「守り」に入りがちな気分に浸されていた。そんな自分も大嫌いだとも。夢を持っていた分だけ状況を苦々しく思うのかもしれない。でも、彼女は結婚というステータスを大切にするんだろう。いつまでもお遊びのお付き合いなどやっていられない。早くケリをつけたい…と。男は押し切られ、女の勝利が始まるのか。子供が出来て、マイホームを買って、休みの日には家族サービス。50歳くらいになって「俺は何のために働いているんだ…」と自問の時間が増える。そんな時、妻と子の顔が脳裏に浮かんできて、湧き上がる疑問を振り払って、顧客と上司に頭を下げる日々を繰り返す。そういう日々も悪くない。イヤと思う人もいるかもしれないが悪いわけじゃない。自分が選べば良いのだ。自分の人生はやはり自分で選ぶことになんだ。

 私は思う。形は何であれ、自分が60歳くらいになった時に我が身を振り返って自身に「よくやった」と言える人生を送りたいと。今はがむしゃらでいいじゃないかと。老いてから後悔するなんて真っ平御免だ。前進して前進して前進して、強気に挑戦して思考して創造して、疲れて悩んで苦しんで困って、それでいい。こじんまりした成功や安定に満足するな。自分自身の生き様を作れと思う。誰も自分の代わりに自分を作ってくれやしない。同じ生きるならダラダラ生きるな。学べよ、創れよ、動けよ。そんな走りっぱなしの人生を私は望んでいる。そのためには他の欲望なんて薙ぎ払ったって構いやしない。忍耐も労苦も厭わない。私はそんな日々をこれからも送るだろう。否、そう生きると決めている。

 

 結婚おめでとう!

 いや増してこれから頑張れ!!

 自己実現を断じてあきらめるな!!!

 

 ささやかに私は彼へエールを贈った。

 彼は喜んでくれたようだった。


nice!(6)  コメント(7)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 6

コメント 7

shiawasechuuuuu

虫もいつ振り返っても誇れる自分で!と思っています
夢だってなんだってみたもん勝ちですよね
・・・違いましたか(笑)??
いつか出会える自分の子のためにも
たくさんの花を咲かせる人生でありたいものです☆
by shiawasechuuuuu (2007-08-23 18:45) 

サファイヤ

そうですね。自分の代わりに自分は誰も作ってくれません。
老いてから後悔するより、自分で決めた人生を歩んで行きたいですね。
結婚は、ネガティブなことばかりではないでしょう? 一緒に伴走してくれる人が見つかったのだから。
by サファイヤ (2007-08-23 19:00) 

銀鏡反応

自分で決めた人生ならば、そのまま突き進んでいくのがまっとうな生き方だと思いますね。何も結婚したからと言って、夢が果たせなくなるわけがない、と思う。むしろ、せっかくこれから長い(と思われる)人生の道のりを一緒に走ってくれる方が現われたのだから一緒に悔いなく走っていこう、とポジティヴに捉えて行った方がよろしいか、と思いマス。
私自身、60、70どころか100になって振り返っても、後悔しないよう、今この時を懸命に、夢の実現をかけて明るく生きて行きたいと思っています。

私は結婚はあせる必要はないと考えるタイプですし、いざとなれば「一生独身」を貫く所存ではありますが…そのうち、もし、「あなたの人生の伴走者に私を!」と、心の底から言ってくれる人が出現したら、…お付き合いしてじっくり考えた末に、結婚を決めるならば決めたい、と思います。
by 銀鏡反応 (2007-08-23 19:36) 

結婚は自由も使えるお金も制限されるし
長く独身生活されてる方は窮屈かもしれませんね。
でも家に帰って優しい嫁さんや温かいご飯やフカフカお布団がある生活も悪くはないと思います。
でもこれは女性から見た目であって、男性の本当の心理はわかりませんが。
by (2007-08-23 22:07) 

まさ

僕は今、かみさんが居て娘が居て、そしてあと2か月以内に息子が生まれます。だけど独身時代よりもよっぽど夢追い人になってるような。。。(笑)
結婚は相手と二人で決めるものではありますが、結局は自分が決めたものであって、そのことを喜べていれば夢を失う感覚は無いと信じてます。だって自分の決めた未来ですから。
他人に決められた意識があったら夢は見れないかもしれませんが、自分が決めたことは夢への途中でしかないっす。
人それぞれ状況は違えど、思います。「いや増してこれから頑張れ!!」ってホントその通り!!
状況がどう変わろうが自分の責任で頑張る以外の未来って無いですもんね。
by まさ (2007-08-24 04:36) 

kyao

うーん…どうなんでしょう。
「生きていく」っていうことは、誰でも何かを捨てて何かを背負うと言うことの繰り返しなんだと思いますが、その「背負うもの」が「捨てるもの」よりも、自分にとって価値のあるものなら。つまり、それを捨てるに当たり、「こっちを捨ててもこっちを拾いたい」と思うかどうか。イヤらしい言い方をすれば、拾うに当たって、自分に対しての同義付けが出来るかどうかではないかと。

私は家に1日中いても全然OKなんですが、それが我慢できないという人もいる。仕事と一緒にしてはいけないのかも知れませんが、「営業が大好き」という人もいれば「人と話をするのはどうしてもダメ」と言う人もいて。

結婚も、もしかするとそう言うことなのかも知れません。子育てでも家族サービスでも、それがイヤな人やそれを義務に思ってしまえば、これほどイヤなことはないかも知れません。でも、子供が好きな人や家族で遊ぶことが楽しいなら、話はまったく逆ですよね。

大変厳しい言い方で恐縮ですが、これから先、自分にとって悲観的なビジョンしか見えてこないようなら、お互いにとって、結婚は不幸しか呼ばない気がします。
by kyao (2007-08-24 09:20) 

参明学士/PlaAri

★幸せ虫さん、仰るとおりだと思います。自分が誇りを持って進んでいる人生は「誰とも比べるような幸せ」ではないはずです。それは自己満足という次元とは違う、「自分らしさ」の充足感だと思うのです。

★サァファイアさん、そうなんです。一緒に併走してくれる人の存在は時に大きな力を引き出すものでしょうし、ネガティブなことばかりではないはずと感じます。問題はそうした環境の変化に引きずられないで生きるということなんだと思います。

★銀鏡反応さん、力のある人というのはどういう状況でも「価値的」に生きることが出来る人のことだと思うのです。そして賢人ともなれば周囲の状況すら変化させうることが出来ると考えます。
結婚それ自体がプラスかマイナスかを判断する基準になりえない時代ではないでしょうか。肝要なのはこうした機会をポジティブに捉えて、飛躍のきっかけにする「気構え」を持つことだと思いますね。

>いざとなれば「一生独身」を貫く所存ではありますが…

いえいえ、独身といわず、銀鏡反応さんを満たす方を積極的に見つけて、不足あれば銀鏡反応さんが育てるくらいの思いで相手を探されることを念願します。生命の実相に「伴侶ある故の躍動感」は備わっていると私は考えます。

★ぽんぽこひよこさん、思わず「その通り!」と言いたくなってしまいましたー。

>でも家に帰って優しい嫁さんや温かいご飯やフカフカお布団がある生活も悪くはないと思います。

悪くないどころか、とても素晴らしいことではないでしょうか。この「優しい嫁さん」が時限的なのではなく、一生そうあっていただければ男としては最高でしょうね。互いに苦楽を共有できる心の広さを保てば家庭生活は充足したものとなるのでしょう。

★まささん、彼に見せてあげたいコメントです!

>結局は自分が決めたものであって、そのことを喜べていれば夢を失う感覚は無いと信じてます。だって自分の決めた未来ですから。

もの凄く励まされる言葉ですね!そして実際にまささんはそう生きていらっしゃる。やはり人生はこうでなくてはならないと思います。つくづく同意するものです。

>状況がどう変わろうが自分の責任で頑張る以外の未来って無いですもんね。

仰るとおりだと思います。全ての選択の価値は「その後の自分の生き様・行動によってプラスかマイナスかが判断される」といつも私は友人に語っています。結婚もまたそうでありましょう。ご自分の責任で未来を見つめるまささんにとっては、善きにつけ悪しきにつけ、今までのあらゆる行動が「価値」あるものとして意義付けられるものではないかと思っております。

★kyaoさん、そうですね、物事の判断にはkyaoさんの仰るような相対的な価値判断もあるでしょうし、一方で本人のみが持ちうる主観的判断もあると思います。何かを捨て、何かを拾うこと、生きる上では幾度も繰り返すことだと思います。また、長い時間軸を考えると、拾うことで手放さざるを得なかった自身の目標・目的を再設定することも可能なケースも十分に想定できるものと思います。
すなわち、そうした価値判断を下していくのはどこまで行っても「自分」であるということですし、あらゆる状況に対して悲観的であれば、状況を転換し得る力強い「生」を貫くことは出来ないと思っています。

流される人生か、流れを創る人生か。出生、入学、結婚、死別といった自身の人生におけるターニングポイントを認識し、具体的行動に昇華させることが出来る生き物は唯一「人間」だけであります。その意味で人間は多くの生物よりも「本質的な自由」を有していますよね。一つの選択に価値があったかどうかは、その段階ではわからないものだと思っています。その後の自分の行動や実践によって選択の良し悪しが決まってくるものではないでしょうか。

>これから先、自分にとって悲観的なビジョンしか見えてこないようなら、お互いにとって、結婚は不幸しか呼ばない気がします

仰るとおりだと思います。彼がいわゆる「マリッジブルー」なだけなのだとしたら、さほど問題もないと思うのですが、結婚という自身の人生の節目そのものを「ネガティブ」に捉えているのであれば、その先の暮らしに不安を覚えないものでもありませんよね。

ともかく、私としてはこの結婚が彼をより飛翔させていく契機になることを願ってやまないものです。否、そうさせていく彼であると思っているところであります。
by 参明学士/PlaAri (2007-08-24 11:13) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。