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極限ということ [思索の散歩道]

 すごい人というのは我々には「極限」を扱う人のように見える。

 何かするのでも限界に近づいていくということは並大抵のことではないように思うのだが、自分の極限を知っている人というのはどのくらいいるのだろう。

 自分の極限を知らないで死んでいく人は実際かなりいるんじゃないかと思う。でも、どうせ生きるなら「自分の極限に触れたことがあるぞ」という歴史を残せないともったいないように思う。

 極限を引き出そうとする生活を続けると、自然と心も体も慣れてくるということもあるのだろうか。そうなったら強いだろうな。そうした強さは本物だ。売ったり買ったりして手に入れる「相対的」な強さではない。自分の身に備わる「絶対的」な強さだ。

 現代社会は休みや休暇を取ることの権利を教えてはくれるが、己への限りない挑戦を提示することは少ない。そんなものには価値がないとすら思っている。損だと教えている。体はラクで、金が多く稼げる方法ばかりを模索している。これでは人間が限界に挑戦しようとするはずがない。だからたやすく弱音を吐いたり、愚痴が出たりしやすい人が増えているのではないだろうか。

 周囲の環境や自分の置かれた状況を嘆く前に、果たして我々は自分の限界に挑んだだろうか。学び、鍛え、自分自身を訓練しただろうか。我々は今一歩、内面も外面も大きく成長できるのではないだろうか。チャンスは46時中転がっているのではないだろうか。己の心構え一つで。

 努力や忍耐は「今すぐにでも始められる」人生のレベル上げだ。ドラクエやFFのようなRPG(ロールプレイングゲーム)でも、自分のレベルを上げてからでなくては強敵とは戦えない。難関なダンジョンなど全く歯が立たない。レベル1ではロトの剣も使いこなせない。装備が良くても本人が弱ければダメだ。自分がサボればスライムにすら苦戦する。人生もまたかくあり。己の限界との対話。己を引き出そうとする情熱。人間はそれに挑戦する機会を与えられた生き物だ。人生はレベル99なんかで終わりじゃない。無限にレベルは上がっていくのだ。最期にはどんな魔法が覚えられるか誰にもわからない。そういう楽しみすらある。

 何の分野でもいいから、限界に近づいて毎日を送りたいものだ。

 成長したいものだ。

 世のため、人のために力をつけたいものだ。

 苦しい環境からでも、己を咲かせてみたいものだ。

 

 


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サファイヤ

これまた明士さんらしいですね。
私はまだまだ限界には、程遠いような。やい、もう限界かも?笑
いずれにせよ、少しでも日々、成長して行きたい、そういう姿勢は忘れたくないですよ。
by サファイヤ (2007-06-29 22:19) 

アキオ

限界って、限界に挑戦し続けると、少しずつ
限界そのものがあがってくんですよね。
人間の凄いとこ。
環境に慣れちゃえば、順応する、みたいなね。

筋肉って物が、限界越えて組織が壊れて、強大化するのに似て。
by アキオ (2007-06-30 17:37) 

norinori27

波乗りし始めの頃、「あんなデケーの乗れないよ~」。。。

なんて思っていましたが、経験値があれば上がる程限界点も上がって
いくことを実感しています。向上心がないとダメだけどね。

サーファーの諸先輩方々(4~50代)もまだまだ成長期のようです!(笑)
by norinori27 (2007-07-05 08:57) 

参明学士/PlaAri

★サァファイアさん、成長していきたいという姿勢を決めるのは自分の心ですよね。この心の方向を定めるのが哲学だったり宗教だったり思想だったりするわけです。
限界の壁を打ち破る経験は人間を大きく変えるものと思うのです。

★アキオさん、そう思います。限界そのものが上がるということが、人にとってのレベルアップなのですよね。「苛烈な環境に身を置き続けよ」ではありませんが、やはり生きていくということは何らかの「闘争」なのだと感じてやみません。
経済活動のために自分は働かねばならぬのかという問いも、その闘争の一つでしょうね。

★norinori27さん、経験値が上がれば限界点も上がる。仰るとおりですよね。そしてその基本は向上心にこそある。その向上心という心根をどうやって訓練し、維持し、高めていくかということに実は人間はあまり目が向いていないのですよね。
そういう自己鍛錬の日々でありたいです。今日よりも明日の自分が前進していると認めたいですしね。
by 参明学士/PlaAri (2007-07-05 12:21) 

銀鏡反応

世の為人の為…これは、今の時代に生きる私達が忘れがちだけれど、本当に大事なことで、これがもし完全になくなってしまったら、この世の中はエゴに覆い尽くされてしまうだろう。
そうならないように明士さんのように、常に苦しい環境の中で、他者を思う心を育てていきたいと思うのです。
by 銀鏡反応 (2007-07-05 23:33) 

参明学士/PlaAri

★銀鏡反応さん、人間の持つ大きな喜びの一つとして「自他共に良くなること」が挙げられると思うのです。自分だけ良ければいいというのは、ある意味で「深い喜びを知らない」人生であると思います。
自分だけ良ければいいというエゴがむき出しになることを恥ずかしいとも思わないこの状況は、やはり恐ろしいものですよね。
そういったニヒルで冷笑的な傾向を日本人は持ち始めているのかもしれません。
by 参明学士/PlaAri (2007-07-06 15:57) 

しゃくれアゴ

この記事を読んで、弱い自分を発見できました。
もっと踏ん張らねば。気合いを入れなければ、と思いました。

ありがとうございます。
by しゃくれアゴ (2007-07-07 23:51) 

参明学士/PlaAri

★しゃくれアゴさん、私の記事を読んでいただいて、そのように感じていただければとても嬉しく思います。こちらこそ本当にありがとうございます!
by 参明学士/PlaAri (2007-07-12 15:28) 

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