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エッセイ準備編 「人間っていいな」  [エッセイ]

 自分自身の出来事をつらつらと書くだけではどうやら飽き足らない。と、言うよりも、自分のことっていうのはなかなか上手く書けるもんじゃない。

 日記は毎日つけているし、まぁ僕が死んだ時にはそれでも見てもらって、どうやって生きてきたかはちょっぴりとでもわかってもらえればそれでよし。それにしても日記の字が汚いことには毎回うんざりする。思えば字の練習なんてしたことないな。だから今は一文字にかける時間をゆったり取ろうと思ってる。そうするとまがりなりにも字は丁寧になる。字の汚い人は一文字にかける時間が極端に少ないのかもしれない。

 これもブログの端くれなんだけれど、ブログってカテゴリーとかいう記事分類項目がある。何でも分けて判断しようとする日本人臭さが見え隠れするんだけれど、なければないで落ち着かないのが悲しいところ。でも、ここから選んで文章を書くと何だか自由度も狭くってね…。自分で作ったくせに。

 

 そんなわけでより広い空想を目指して エッセイ なんてかぶれたものでもやってみようかというわけ。何が「そんなわけで」だ。ばかばかしいけど、ここまで書いちゃったし、まぁ、いいか。文体は口語体にしよう。気も楽だし。

 

 普段は結構狭い道を歩んでる。型通りと言ってよい。仕事も含めて幾つか組織に所属もしているし、どこに行ってもそれなりに必要とされているかもしれない。褒められたりすることも人よりは多いかもしれないけれど、僕にとってそれはどっちだっていい。もともと褒められても心が満たされることはないタチらしい。だからウラで悪く言われてもさほど気にならない。僕にとって大切な人でなければなおさら。

 そうだな。最近刺激のある出来事や出会いが無くなってる気がしてる。今からでも刺激あることにどんどん触れていきたいと思うし、できれば自らの手でそういう機会を創りだしたいものだ。小さい時の一年は長く、大人になってからの一年は短く感じるというが、脳科学ではそれを「感動が減るから=記憶する事柄が減るから」と捉える立場もあるらしい。知ってしまうと感動が薄れる。これじゃ勉強するな、学ぶな、大人になるなってことになるんだろうか。そんな極端な解釈があるかい、全く…。ま、でも、このところ一日が早い。今の時代、たくさんの情報が瞬時に手に入る。逆に感動する暇がなくなっているんだろうか。

 小さい時、僕は母親に町中の看板が何を意味しているのかをしつこく聞いていたそうだ。バスなどに乗るとやかましくてしょうがないと。そういう一つ一つが感動だったのかもしれない。父と車に乗っていると必ず助手席に乗せてくれた。それで僕が何を頭に描いたかって言うと、すれ違う対向車の車名を瞬時に判断することだった。おかげで随分と車には詳しくなった。エンジンがどうのとか、室内装備がどうのとか、テクノロジーのことは今でもあんまりよく分からないけれど、車名はほとんどズバリ当てていた。そんなことで数時間の車中もあっという間に過ぎていくのだから、今考えると驚き。そうそう、車酔いが激しい時期もあったけど、いつの間にか治ってた。いまだに船は苦手だけれども。

 時々面白いこともやってる。これを見てくれている人が面白いと思うかどうかはわからないけれど、「自分の記憶の一番最初を探す旅」をやってる。どうにか3歳か4歳位までの記憶は遡れるみたい。覚えていることは楽しいことよりも、驚きだったり、感動したことだったり、痛かったことだったりするのが多い。写真なんかで残っているんだけれど、僕はよく「皿回し」をやっていたそうだ。円盤系の皿を床で回転させる遊びだったらしい。クルクルくるくると回すのが好きだったみたい。これは何となく記憶がある。それから家に四角くて青い浄水器が2台来た時のことは覚えてる。これは4歳かな。かっこよかったんだよね、浄水器。父親そっくりの叔父さんが家に来たときに見間違えちゃったことも忘れられない。あとはピンクの毛布にこだわっていたこと。あれがないと寝られなかった。我が家は事情であんまり両親が家にはいなかったから、寂しさまぎれに毛布を擬人化して抱きついていたんだと思う。僕には少し年の離れた妹がいて以前言っていたのだけれど、妹の小さい時の写真が極端に少ない。僕のも多いとは言えないが、確かに妹の幼い頃の写真は少なかった。両親とのふれあいは決して多くはなかったろうと思う。妹の孤独感もきっと僕と似たようなもので、彼女は掛け布団のシーツカバー?の切れ端を引越し先まで持っていた。ぼろぼろで見苦しいくらいだったが、何より大事な宝物なのだそうだ。あれを洗濯したり、取り上げたりすると、精神的に不安定になっていたことを思い出す。僕のピンクの毛布のように。今では二人ともそんなことはないが、多分記憶としてはっきりしている事柄の一つだろうと思う。

 書いているうちに思い出した。僕は北海道に住んでいたのだが、雪が積もった日ににソリを引いて小学校近くのひくーい山に遠征に行った。妹はテクテクと僕についてくる。両親はいつものように出かけていた。たった二人で銀世界。ホントに誰もいなかった。小雪がさらさら降っていた。ソリ引く兄とテクテク妹。兄は上下緑色の防寒着。妹は上下黄色の防寒つなぎ服。ソリは青色だったな。何を話したのかはよく覚えていないけれど、あの時、妹は僕だけが頼りだったんだろう。家に残ればひとりぼっちになってしまうし。お兄ちゃんについていく選択しかなかったのかな。ちょっぴりセピア色の寂寥感あるイメージ。楽しかったかどうかは覚えていない。ただあるのは小さい体に黄色のつなぎを着て「テクテク」ついてきたこと。それだけ。今になって思うと、妹はとても大事な存在。いつまでも元気で活躍して欲しい。毎日お疲れさん。仕事頑張って。

 あ、言い忘れたけれど、こんなこと書いていると両親は家庭放棄していたのかと思われるかもしれないが、両親はとてもいい人だ。尊敬もしてる。家にいないことはそんなに不満ではなかったし、それが当たり前だと思っていたから。友達の家は夜6時に晩御飯が出ているのを知って後年驚いた。我が家は9時過ぎか10時位の時が多かった。4人で一緒に夕飯というのは稀だったかな。あんまり記憶にない。その分、今は家族全員が集まると昔の孤独感を取り戻すように話している気がしないでもない。今ほど家族が大切だと思えている時期はないと思う。皆がいつまでも健康であるように願っている。たくさん話して昔の分を取り戻さなくちゃ。

 

  

 あー、なんだか今日の気分は「てくてく」だな。てくてくになっちゃったなぁ。

 

 

 てくてくテクテク。

 

 てくてく。てくてく。


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