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となりのじいさま [人間社会]

行きつけのコーヒー店で本を読んでいた私に声をかけてきた「となりのじいさま」のこと。

私は本を読む時はノートにメモを取っている。その方が覚えられるからという単純な理由である。ノートにジャンルはなく、気付いたこと、気になったこと、覚えたいこと、新しい知識等がペンのおもむくままに走っている。哲学も科学も伝記も歴史も思想も脈絡なくつづってある。それは本題ではない。

私は『石田三成』を読んでいた。すると隣に座っていた老紳士から声をかけられた。

「何を読んでいるんだい?」と

私はにっこり笑って表紙を見せた。老紳士は「三成?あー、私は好かんねー。」と。「そうなんですか。では誰かお好みの武将はいらっしゃるんですか?」と私。「んー。ま、好きは別として三成は好かんな。だってあいつは仲間を売りながら出世したでしょ。戦前教育を受けてきた私らは散々三成の悪口を聞かされたもんだよ。」と話していた。

石田三成。賛否両論が多い人物の一人であろう。小才が効きすぎて結局人間としては大物になれなかったとの評が一般的であろうか。だが秀吉の天下取りを下支えした功は見逃せない。社会というのはつい「陰の人」を見落としがちであるが、彼の内助の功は最近の研究によって明らかになりつつもある。三成の悪評は歴史的に見ればやむを得ない部分もあろうとは思う。対立し関ヶ原で三成を破った徳川家康は戦国期の勝者である。歴史のある部分は「勝者によって作られる」のであるから三成の評価が低いのは当然であるとは言える。本来の歴史とは勝者も敗者も無関係な人々もひっくるめた人間の営みの集大成であるが故に、多面的な視座を持たねば「真実」に近づくことは容易ではない。私は老紳士の話を聞きながらそのようなことを考えていた。そして、改めて多様な角度からの着眼点を生涯持ち続けなくてはいけないなと自戒するきっかけにもなった。私は「三成には友情厚い武将もいましたよね。直江兼続とか、大谷吉継とか」と、フォローもしてみたが老紳士は意に介さない様子であった。認識を変化させるというのは簡単なことではない。幾星霜も重ねてきた人であれば尚更であろう。

もちろん、老紳士が悪い云々の話はしていない。その後もしばらく談笑を続けた。三成擁護論の存在や、家康論、参勤交代について、少しだけだが戦時中の話など。老紳士は笑うととてもさわやかな表情をしておられた。年輪を刻んできた言葉は「良し悪し」を抜きにして味わいがあるというもの。時々発音がままならないのか聞き取りにくい語彙もあったが、耳を澄まして意見交換に努めたつもりである。

老紳士は一通り話し終わると、「では、また」と言って微笑をたたえながら席を立っていった。私は「ありがとうございました。」と一礼し別れた。「どうか、健やかに」の一言がとっさに出なかったのが悔やまれる。まだまだ青二才である。

「では、また」の言葉がどうなるか、それはわからない。

三成が結んでくれた縁だろうか。人生とはちょっと先のことも予想がつかないものだ。某脳科学者が「偶有性」と言っていたな。そんなことが頭をよぎる。

私は読みかけのページを閉じながら、残っていたアイスコーヒーを飲み干した。随分と氷が融けてしまっていて、薄味だったけれども。


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コメント 5

on_your_mark

あー、何か書いたつもりで書いてなかったとです。
真っ白でした。

えっと、戦国武将には全く詳しくないのですが、
ゲーム(戦国無双)で石田三成を知りました。
ゲーム的には結構好きなキャラです。
男前でしたよ。

メモをしながらの読書って、いいですね。
何だか知識が豊富になりそうです。
by on_your_mark (2006-06-08 20:34) 

サファイヤ

老紳士との談笑は、氷が融けて薄くなったアイスコーヒーが、有意義な時間だったことを物語っています。素敵な出逢いがありましたね。
by サファイヤ (2006-06-09 00:04) 

参明学士/PlaAri

★switchさん、私も戦国無双やりました。石田三成は登場してましたか?すっかり失念しておりました。彼は評判以上に実績のある実務官というのが実情だと思います。武断派ではなかったので軽視されがちだったのかもしれませんね。
メモしながらの読書は「読んでいるんだ」との実感を得るためにもなかなか効果的だと思います。オススメしますー。

★サァファイアさん、出会いは本当に分からないものですね。相手の素性なんてまったく問いただすことなく、ただただ談笑しておりました。そう、氷が融けてしまうほどに…。
by 参明学士/PlaAri (2006-06-09 16:56) 

hil

こんにちは、はじめまして。
素敵なエピソードですね。
僕もわりとお年を召した方と話をするのは好きです。昔はもっと老いも若きも集う場所がそこかしこにあったような気がするのですが。
石田三成については、隆慶一郎の小説で評価を改めました。有能で眩しすぎるくらい潔白。本田正純が共感していたというくだりが印象的でした。
だけど、個人的には、秀吉との出会いのエピソード、「ぬるいお茶、少しぬるいお茶、熱いお茶」の話には、ちょっと嫌悪感があります。
権力者に阿る部分も、やっぱりあったのではないかと僕は思うのです。
by hil (2006-06-11 17:08) 

参明学士/PlaAri

★hilさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
老若男女が集うようなコミュニティって確かにあるはずだったんですよね。そうしたものは最近は少なくなって、まさに隔離された世代という感が致します。
隆慶一郎の小説、よく読みました。本当に面白かったですね。三成の人物は確かに極端なまでの豊臣主義だったわけですから、私心とは異質なものだったと思いますし、その純粋性はもう少し精神的に評価されてもいいのかなと思います。

>権力者に阿る部分

私の場合ですが、実際に権力者と言うか目上の人物を目の前にした時に、自分がそのような機転が利かせられるかなと思うと「ちょっと自信がない」ですね。その意味でこの「茶」のエピソードは三成の能力を示すものではあったのだと思いますし、等身大の三成なのだとしたら少なくとも私よりは上だなと白旗を揚げてしまいそうです。確かに第三者的な視点(神の視点)から俯瞰すれば、阿る部分もあったのではないかなと推量できてしまうものでもあるんですけれどね。歴史の観方というのはそういう視座において容易ではないものだと自らを戒める毎日です。
by 参明学士/PlaAri (2006-06-11 18:54) 

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