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交通事故は減らせる [思索の散歩道]

忌まわしい命の落とし方に交通事故がある。
漸減傾向にあるというが、昨年度でも8000人弱の方々が交通事故で命を落としているのだ。つい先日、知人が酒酔い運転車輌に追突され、その弾みで対向車線にはじき出されて対向車線を走っていたトラックと激突したという惨事が発生した。まさに無法地帯の感がある。交通事故を減らすにはもちろん原因を潰さなくてはならない。原因は「車の使用」に他ならない。車がなくなれば当然交通事故は0になる。では「車をなくせ」ということは利便性を追求する現代社会において現実的な提案と言えるだろうか。それは難しいであろう。では、何か代案を考えなくてはいけない。私なりに確実に交通事故を減らせる大まかなアウトライン的な提案を試みてみたい。

  • 飲酒運転を撲滅する…車両にアルコール検出機能を搭載する

死亡事故原因の約15%を占めるのが飲酒運転であるという。話は違うが電車や病院内での携帯電話使用を技術的に制限する発想が出てきた。人間の命がかかっているという視点から見れば車の運転も同様に考えるべき内容である。車両自体にアルコール検出器を搭載するのだ。運転者はキーを回す時に同時にハンドル部にあるアルコール検出器に息を吹き込まねばならないようにする。ここでアルコールが検出されなければエンジンがかかり車を動かすことが出来るようにする。当然検出されればエンジンを始動させることができないようにすればよいのである。のらりくらりといつも同じ場所で警察が検問するよりか、遥かに効率も効果も上がるはずである。当然、法律で車両への検出器搭載を義務付けられ、自動車メーカーはその仕様の車しか発売することはできない。もちろん、車検の時の検査項目にも立てなくてはいけない。この検出器を外す行為を厳しく罰則で取りしまる。ハンドルのない車が存在しないのと同じように、検出器のない車も存在しないようにする。

  • 免許証照合システムを車に搭載する

無免許運転での事故も後を絶たない現状である。運転免許証にICチップを搭載し、車を運転する際に免許証をきちんと所持しているかどうかを車両に確認させる。JRで採用しているSuicaや電子マネーEdyのように使うのである。その場合不慮の免許証不携帯の人が運転に困るというケースもあるだろうから、その辺りは検討すべき内容になるだろうが、「困る」人以上に「死亡する」人を減らさなくてはいけないのは理の当然である。

  • 時速100kmを超えて走れる道路は日本に存在しない…そんな車を作らせない

現在大型トラックでは時速90kmを超えることができないようにスピードリミッターの装着が義務付けられている。交通事故におけるスピード違反の占める割合の大きさは誰しもが知っているところである。もう半世紀以上も前に出来た道路交通法も大幅な見直しが必要であろう。法律で定められている上限速度である時速100kmしか出せない道路しかない日本において、200kmも出る車が売られていること自体が矛盾しているのだ。もちろん、緊急のための特殊車両は例外で構わない(パトカー、救急車、消防車等)が、一般車両にその必要はあるまい。そのスピードのために死んでいる人間の数が多すぎる。また、死亡しないまでも重篤な障害を持つケースだって多いのだ。このようなおぞましい不幸と元々法律違反である100kmを超えるスピードを引き換えることができることを考えれば、取り組まないわけにいかないはずである。

以上、大まかなアウトラインを考えてみたが、もちろんこれらの規制をすり抜けることは容易に考えられる。アルコール検出器への息の吹き込みも、運転者以外の他人にされてはおしまいだ。運転免許証も他人のを借りてしまえば認証は通ってしまう。だが、そうした事態を予め想定して対策を立てておくことは可能であろう。指紋認証システムと並存させるなど、そうした対策を考え出せるのが人間なのである。
倫理的な感覚が減失しかけている現代においては、運転手各人に交通ルール・法律遵守を期待することで交通事故を防いでいくのは難しい。ならば予め車輌に機能制限を施すことにより交通事故を防ぐ試みが必要なのかもしれない。それは事故発生時につきまとう保険の問題、保障の問題、過失割合の問題等の煩雑かつ複雑な案件そのものをも減らしていく挑戦なのだ。交通事故のいたましさと合わせて、その後の加害・被害者間の交渉は時として難航する。事故の当事者が一般人と大企業ともなれば、弁護能力そのものにも差が出てしまう。ましてや警察の現場検証の精度も疑問視されている昨今である。私の知っている例では警察官が自らの過失で事故を起こした時など、被害者である知人に対して事を公にすることすら控えるように要請されたという。警察官も弱い人間である。けしからんことだが、時としてそうした行動に出るのは格別不思議なことではない。そんな交渉ごとをするくらいなら、元々事故が起きなければ早い話である。やはり交通事故が起きるリスクそのものを低下させる発想がない限りは、交通戦争とも揶揄される現代社会を無事・快適に過ごすことはますます難しくなっていくに違いない。その為に、車輌そのものに人間を守るための機能制限を加えていくことは現実的に重大事故を減らしていく手立てとなっていけるはずであろう。


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銀鏡反応

>時速100㎞しか出せない道路しかない日本において、200㎞も出せる車が売られていること自体が矛盾しているのだ。
ならばこれからは、フェラーリもランボルギーニもポルシェもRX-8もランエボも、輸入を禁止したり、製造を取りやめるべきですね。トラック並に乗用車にもスピードリミッターの装着を義務付けるとか。
いずれにせよ、何らかの具体的ないろいろな防止策をとらないと、悲惨な事故はなくならないかもしれません。運転する人のモラルも低くなっていることですし、だれもが安全運転出来るように子供のうちから交通の為の教育をキチンと受けさせるというのは如何でしょう。
by 銀鏡反応 (2005-08-24 18:55) 

arukakat

原付でも、制限速度の2倍までリミッターききませんからね・・。

私もだいたい同じ意見です。
「人間の甘えを産む部分は、“そもそもできなく”すればいい」
というのが対策としては一番です。

ただ、元々あるものを制限されると反発してしまうのが人間なので・・、その先がちょっと怖いですね。
あと、システムエンジニアとしては、コンピュータ制御にしろ機械制御にしろ、そこには必ず不具合が入り込みます。少々怖いです。今現在でも、車間距離を自動でとってくれる装置とかに不具合が出たら、と勝手に心配してしまいます。

しかし何もしないでいてはなにも変わらない・・。
by arukakat (2005-08-24 20:47) 

kyao

明士さんが仰っているように、どんな安全装置を付けたところでいろいろ抜け道は出来るのでしょうけど、付けないよりはずっと良いのではないかと。
アメリカでは、州によってすでに呼気を吹き込まないとエンジンが掛からない車が登場しているそうです。しかも生体認証を採用しているのか、運転者本人が吹き込まないと動かないのだそうです。
日本でも、運転免許証をセットしないとエンジンが掛からない車とか、簡単にできそうですけどね。

ただ、まず変えるべきは「自分だけは大丈夫」「自分だけは事故を起こさない」と思ってしまうドライバーの認識ではないかと。これが最後、唯一無二の安全装置ではないかと思います。
by kyao (2005-08-25 08:39) 

ぼうずオヤジ

壊れない機械は無い。
ヒューマンエラーも無くならない。
歩きタバコもポイ捨ても無くならない(関係ないですね)。

対策を講じないということは本気で問題にしていないということなのでしょうか。それともあちらこちらの利害関係がどうのこうのということなのでしょうか。
by ぼうずオヤジ (2005-08-25 09:37) 

ヤク

北海道は交通事故多いですね。
私もひとごとは言えませんが国道の直線道路なんかだと100キロ以上は当たり前。
90キロでも追い越される始末。
こんな交通事情ですからレンタカーのわナンバーはよく事故ってます。
居酒屋や飲み屋街もなぜか駐車場はちゃんとあるし。
でも駐車場がないところには客が入らない…
なんとも言えませんよね^^;
by ヤク (2005-08-25 13:36) 

>呼気を吹き込まないとエンジンが掛からない車
旦那がそれをテレビで見て、日本も導入しろ~!と言ってました。

現状では警察は人手不足だし、事故をした当事者は絶対謝らない人が多い(後で不利にならない為?)とか、事故をした時は物損と言ってたのが後で人身事故に変更になるとか(保険請求の為?)、色々とお巡りさんも大変なんだそうですよ~。
by (2005-08-25 17:20) 

pon

世の中の流れは、すべて対で出来ています。

規制を作れば、やぶる者が現われるのか・・・?
モラルが無いから、規制するのか・・・?
たまごとニワトリの話のようですが・・・

必ず、物事には矛盾が存在します。
平和を望むから武器や軍隊が必要なのと同じように・・・
そして、武器や軍隊をなくしても平和にはならないであろう事も・・・


確かに事故は悲しい出来事かも知れません。
でも、宇宙的に見ると、自然淘汰の一部なのかも知れません。
絶滅動物を保護したら増えすぎて、他の生態系に悪影響になるのと
同じなのかも知れないと・・・
by pon (2005-08-25 20:00) 

ひろっぴ

一般道では60km/h、高速道路では100km/hという風に、外部からスピードリミッターを制御できれば良いと思います。一般道でスピード出せないストレスを少しでも解消するために高速道路の利用が増え、道路公団の負債も軽減され・・・って簡単ではないでしょうが。
ワタクシも日ごろからイロイロ思ってることがあったので、づらづらと書いてみました。
トラバさせていただきます。
by ひろっぴ (2005-08-26 00:06) 

参明学士/PlaAri

銀鏡反応さん、やっぱり日本の車社会が現状の悲惨さを抜け出せない以上は何かの抜本的な対策を講じる時期に来ているのかもしれませんね。道路交通法が古すぎるというのもありますし、もちろん、車の性能そのものも考慮に入れるべきことですよね。事故を起こした人は必ずと言っていいほど「違反」を公開します。酒酔いも、スピード違反もそうですが、自分が加害者側に立った時に初めて社会に影響を及ぼしていることに気付くということなんです。それでは遅すぎるんですよね…。小さいときから教育しておくことに私も賛成です。

arukakatさん、

>元々あるものを制限されると反発してしまうのが人間なので・・、その先がちょっと怖い

仰るとおり、このリミッター規制をはじめとする車両機能の制限に関して最大の障壁はここにあるのではないでしょうか。それらを実行する技術力はもう十分にあるのですし、後は人間が了解するかどうかということになるかと思います。人間は総じて「規制」と言う言葉を嫌いますから、相当な反発はあるでしょうね。年間8000人近くの人間が交通事故で亡くなっている現実を知っていながらにして。そういう具体的に人間の反発の招きそうな改革をも進めて行く政党でもあればいいのですがね。このようなことは政治主導でなくては到底出来ないわけですし…。

kyaoさん、アメリカでそのような実例があるとは存じ上げませんでした。あるのですね、あるところには。すっかり私はこのアイディアは「オリジナルだ!」と思っていたら、先を行っているところもあったとは(笑)
もはや実例が出ているならば、その効果の程をデータ化して日本でも検討材料にすることができそうですね。政治主導になるでしょうが、どの政党なら可能でしょうか…。議員立法とかでもいいんで挑戦してもらいたいですね。堀江さんなんかはそんなことできれば大したものです(無理かなぁ)。
ドライバーの認識を変えるとのお話ですが、根幹はそこにあるわけですよね。やっぱり「人間」にテーマは絞られてきますね…。

ぼうずオヤジさん、やっぱりこの問題は利害関係が絡んでいるものと思います。リミッターなんかを提案すればあっという間に自動車業界から猛反発を食らうことでしょう。輸出でも大きな利益を上げている自動車業界は、税収ももちろん優秀です。そして政党の票田にもなっていることでしょう。そうなればなかなか官主導でこの問題に取り組むのは急激に腰が重くなるのだと思いますね。自民・民主はこの辺の縛りが大きいですから、やれる政党としては公明・共産・社民・国民新党・新党日本・無所属等の大政党の持つ利害関係程には縛られていないところということになりそうですね。堀江さんが一人で国民世論を味方につけてこういう問題に立ち向かったなら凄いなと思いますけれどね^^難しいだろうとは思っています、議員立法は。

ヤクさん、時々北海道に戻ると「運転荒いなぁ、おっちゃん」とか思うことありますよ。信じられないような割り込みとかしますしね。「わ」ナンバーの事故はそんなに多いんですね、初めて知りました^^釧路のびっくりドンキーの裏にある居酒屋の大駐車場には驚きますよね(汗)

ありしあさん、呼気を吹き込む車のアイディアはアメリカが先に持っていたらしくショックです(笑)←オリジナルで考えたと思っていたバカな私。
そうですね、事故の当事者は謝るなんてタブーにしていますよね。それもどうかしている社会だと思います。まったくわけがわからない。保険の絡みはすなわち金の絡み。せちがらい世の中ですよね…。

ラスカルさん、

>世の中の流れは、すべて対で出来ています。

世の中の多くのことで「対」を認めることは可能ですが、それを「すべて」にスプレッドさせることは難しいのではないかと思っています。宇宙の話が出ましたので、卑近な例を挙げようと思います。素粒子物理学の話になりますが、宇宙誕生後に6種類の素粒子(クォークといいます)があったと考えられています。そしてそれは2つずつ「対」になって対生成・対消滅を繰り返していたようです。しかし、この「対」が別世代のクォークに変わる「世代混合」と呼ばれるきっかけにより破れたそうなのです(CP対称性の破れ)。この破れが基となって宇宙に物質が誕生したと考えられています。これは宇宙にとっては革命的な大変化です。このことから宇宙的に俯瞰するならばむしろ「対」が破れる時こそが「次」を切り開く要因となっていると言えるかもしれません。
こうした物理事象と人間の選択を単純に同視することはできませんけれど、そうした宇宙から生まれた人間は「戦争はさけられない=武器はなくならない」という対を破ることによって次を創りだすことは不可能ではないと思っています。やはり「次」を創りだせる有力な生命体は人間であると思われます。約50億年後には地球は巨星化した太陽に飲み込まれると予測されています。その時に人類が生き残っていれば知恵の総力を挙げて生き残りをかけるかもしれません。そのことから見れば「交通法規」の改正くらいのことはまだまだ人間にとってラクにクリアできるハードルであるとも考えることができるのではないかなとも思います。現実的に見ればそう容易い問題でもないのですけれどね…。

ひろっぴさん、TBありがとうございました~。交通事故の難しさは例えば60km規制をしても、60kmで人間は轢かれたらかなりの割合で命に関わってきてしまうということですよね。交通法規を守っても死人が出るという現状です。規制をかけるとなれば一気にスピードの最高速度を下げることも合わせて行う必要があるかもしれませんね。シンガポールのように車の所有自体が難しいというまでに持ち込むのは難儀なことですし、解決までの道のりは遠そうです。
まぁ、化石燃料がいきなり枯渇したりすれば、今の車はいきなり鉄くずですけれどね(笑)TB先を拝見しに伺います~。
by 参明学士/PlaAri (2005-08-26 01:54) 

こうじ88

はじめまして
同感です。
特に、アルコール検知車のことは、
以前、免許の更新時に、悲惨なビデオを見た際に同じことを感じました。
どこかのメーカが始めれば、安全に対するら取り組みの宣伝効果もあると思うのですが。 バスとか、トラックの業務車両であれば、それを購入する側にもメリットがあるし、普及するのでは。 ○菱とかが、はじめませんかね・・・・
by こうじ88 (2005-08-26 11:44) 

pon

オイラはハッキリ言ってスピード狂ですから、
リミッターなどで規制されては困ります(笑)
そして、原付のリミッターと同じようにリミッター解除のパーツも
出てくるでしょうから矛と盾だと言ったのです。
多くの人が規制を望まない限りは・・・
たとえば、日本車に規制を掛ければ輸入車はどうすろのか?
輸入車にまで規制を掛ければ、貿易摩擦に・・・
最近、ハーレーなどの大型二輪車が増えたのは、
日本だけに大型と中型や小型などの規制があるからです。
アメリカから大型二輪の免許取得が難しいから、ハーレーが売れないと
圧力があって、教習所での取得が可能になったという噂です。
規制を緩和したら・・・
国内での大型二輪の需要は確かに増えたのですから。
それほどに、大型二輪に乗りたい人がいたと言うのが現実です。
そして、大型二輪でゆっくり走らないのが事実だと思います。

スピード規制も、望む人もいれば、望まない人もいるという事です。
そして、何でも規制で人をコントロールするのは、
人の心を歪めてしまうのではないでしょうか?

現に、高校生の3ナイ運動も(二輪車に乗せない)緩和の動きが・・・
免許を取らせない規制が、無免許運転での事故を増やした為に、
バイクを買えない様にした事が、バイク泥棒を増やしてしまう。
乗せない事よりも、安全な乗り方を教える事が重要視され始めています。

規制では無く、モラルの向上に時代の流れは・・・
by pon (2005-08-26 13:06) 

参明学士/PlaAri

こうじ88さん、はじめまして。確かに業務用の車輌からアルコール検知機能を搭載する試みは、社会的通念から見ても理に適っていると思います。三○がそれを推し進めたならばなかなかのものと評価してあげたいですね^^。

ラスカルさん、長文のコメントをありがとうございます。唐突ですがスピードの件は別として飲酒運転についてはどのようにお考えでしょうか?

>原付のリミッターと同じようにリミッター解除のパーツも出てくるでしょうから矛と盾だ

仰るとおりでしょうね。ですが、これにより大部分のドライバーは金をかけ、違法行為に着手してまでリミッター外しを行う人は相当に少数となるはずです。リミッターに関わらずどのような技術もいたちごっこの繰り返しとなるでしょうから、当然この矛と盾は想定内ということになりますね。

>日本車に規制を掛ければ輸入車はどうすろのか?

輸入車であっても青信号では進み、赤信号では止まらねばなりません。日本の道路を走る以上、生産地の違いで日本の国法に従わなくて良いということはありませんから、リミッターが法規制されるのであれば一律に国産・輸入の差別なく適用ということになると思われます。
貿易摩擦の件ですが、摩擦が起きるのは双方の利潤の差が大きいからこそ発生するわけです。リミッターの場合は国産にはつけないで、輸入車にはつけるとなったら貿易摩擦は起きるでしょうね。関税と似たようなものですから。ですけれど、国産・輸入を問わずリミッターが付くということは「競争力そのもの」は変わらないわけです。リミッターが付くことで輸入車が売れなくなるとすれば、それは国産にとっても同じでありましょう。摩擦の前に起きるのは「自動車産業全体の売り上げ減」ということではないでしょうか。そしてそれに伴う激しい自動車産業界の反発。さらにそれが税収減・選挙票減に繋がることが容易に推察されるので、それをあてにしている大政党では難しい課題かもしれないと思うわけです。

>スピード規制も、望む人もいれば、望まない人もいるという事です。

事実仰るとおりだと思います。望まない人の利益と、望む人の利益を考える必要はあると思っています。スピード規制は「規制しようと考える側」は何かの利益を狙っているわけではありません。そのことによって特別稼げるわけではありませんから、その動機はただ一つです。それは「交通事故の悲惨さを極限まで引き下げたい」ということでしょう。そこには「生命優先」の発想を内に秘めているわけです。交通事故死や重大な障害が残るなどした親族には特にその発想は強いですよね。何せ、例年8000人ほどの人が亡くなっています。このことは軽く考えることはできません。

私は「人を死なせてしまう可能性のあるスピードでも出したい」という希望と、「酒を飲んでも運転をしたい」という希望に本質的な違いを見つけることができません。欲望>命 ということになっている状況ですね。そして事故を起こしたら起こしたで過失割合がどうの、警察の検証がどうの、自分は悪くないだの、そんなことばかり言ってますよね。人を死なせたり、後遺症を残したりしたら何だかんだ言ってもそのことを「一生背負っていかねばならない」わけです。自らの人生すら生涯に亘って補償し続けるためだけに生きていかなくてはいけなくなる可能性も十分にあります。それでもスピードが重要かどうかは私としては?がついてしまうのです。

>現に、高校生の3ナイ運動も(二輪車に乗せない)緩和の動きが・・・
免許を取らせない規制が、無免許運転での事故を増やした為に、バイクを買えない様にした事が、バイク泥棒を増やしてしまう。

教育をするならば、そのような年令の時にこうしたバイクに乗らないように理由と意味を深いところから教えていくことが根本なのではないでしょうか?
教育をしない方向で行くのなら、きちんと免許も取らせてあげればいいと私も思います。そしてバイクも乗せてあげればいいと思います。ただそうした時に問題なのは、高校生が許されたら今度は中学生も同じことを思うのではないかということですね。キチンとバイクを使いこなせる身体能力と、判断能力が備わってくるのはいつなのか。それが高校生なのか、中学生なのか。議論は分かれそうですね。モラルを期待されるラスカルさんですが、高校生はどのくらいモラルが発達しているかはわかりません。もちろん大人もですけれどね。どこかで線引きをしなくては社会が成立し得ないのもまた事実でありましょう。規制を緩和していけばモラルが向上するならばそれは一番だと思うのですけれど…。

要するにこの問題の着眼点の重要なところは、「欲望が判断力に勝ってしまうという悪夢」なんですね。「バイクが買えない(買える立場にない)からバイクを盗む」→「バイクを買えるようにすれば大丈夫」というのはまだ表層的な見方だと思います。何故なら、自分のバイクを買っても「もっといいバイクを見たらまた盗もう」と考えるはずだからです。これは盗みはいけないという判断力に、規制云々は関係なく欲望が勝ってしまっている状態です。規制を緩和したら、「判断力が欲望に勝つ」というのであればどんどん規制はなくしていった方がいいです。それならば飲酒運転もスピード違反も減っていくと思います。そしてそれが減ることによって犠牲者が減るという連環が出来上がるはずです。ですが、現状はそのようには動いてないのが悲しいところですね。
規制緩和が欲望を低下させるか、教育が判断力を向上させるか(教育で欲望を低下させるのは現実的とは思えませんよね)、規制をかけてまず被害者を減らしていくか。そういう選択をする時期なのかもしれません。
いつも思うのですが、運転手側(私も運転しますが)のモラルが低下してきて、社会に著しい被害を与えていることが実は自ら規制を呼び起こしているということに気が付かねばならないと感じます。被害がなければ誰も規制しようなどとは考えないわけですから。

いつの時代にも揺ぎ無くそびえ立っている問題は「人間」そのものにあると思います。その意味では交通事故も自然破壊も戦争も、人間次第では良くもなるし悪くもなる。人間のこの混乱状況を決定論的にあきらめるのではなく、次世代に何か切り開いておくこと。そうした発想が大切なのではないかなと思っています。
by 参明学士/PlaAri (2005-08-26 14:28) 

ago-waki

参明学士さんの意見に激しく同意しますよ。
わたしはよく車に轢かれそうになるんです。駐車場から車道へ出る際、歩道を横切るとき、とか・・・。たいてい、そういうときの車の運転手は、老人だったり、おばちゃんだったり・・・。
自動車の運転免許証の取得をもっと難しくする必要があるんじゃないでしょうか? モラルはもちろんのこと、テクニックも教える必要があると思います。
あと、自動車の運転免許証を更新する際、毎回運転技術を試験し、合格しないと更新できないとか・・・そんな仕組みにしないと、無事故のおばちゃんとかは、ゴールド免許になっちゃうし、免許の更新のときは簡単なビデオ講習だけで終わっちゃうし・・・。
技術的な対応も必要だと思うし、法的な対応も必要だと思うし、仕組みも変える必要があると思いますよ。
by ago-waki (2005-08-26 17:41) 

ナシウタ

何回か、自転車に乗っていて車と接触したことがあるのですが、その全て、ドライバーは高齢の方でした。話を聞くと、「見えなかった」「気付かなかった」「見ていなかった」。こちらが青信号通過中に横から当たられたことも(ノ∀`)
参明学士さんの意見はもちろんですが、しゃくれアゴさんの意見にも禿同です。運転免許の検定試験を例えば司法書士とか、国家Ⅱ種並みの難関にしてしまえば。もちろん勉強が出来れば通るというものでなく、実技重視の。そして軽微な違反でも免許を剥奪してしまう。スピード違反三回とか。
自動車の運転は向き不向きがあると思います。誰でも、同じように、簡単にできるものではないと思うのです。免許証は国から許可された特別なものなんだっていう考えが広まればな~なんて思います。また、運転の上手い人には免許のレベルを上げるとか。上限速度を上乗せするなど。ご褒美があるとやる気が起きるかもしれない‥
長々と、しかも論点もあやふやですみません。。 本当は道路が車・自転車・歩行者ときっちり分けられていれば良いのですが。
by ナシウタ (2005-08-26 22:00) 

ひろっぴ

自転車に関するページなのですが、クルマに置き換えても良いと思います。
「事故なんて遭わないし、起こすはずがない」と信じてやまない人に是非一読いただきたい。
http://onohiroki.cycling.jp/bike-d20011021jikorimasu.html
by ひろっぴ (2005-08-26 23:07) 

arukakat

交通問題はやはり身近なので誰でも考えられていいですね(いいというのに語弊がありそうですけど)。考えがまとまったらTBします。
by arukakat (2005-08-27 10:22) 

ブタゴリラ

おいらは、
命にかかわらない相手が100%責任の事故を経験しています。
その2回とも初心者。
「完全に前を見ていませんでした」

「来てるのわかっていたのにアクセル踏んだ」
うーん。
やはり運転は、卒業させることよりもちゃんと教えることに重きを
おいて欲しいな、と思いつつ
普通に、運転はどれだけ危険かをその時の相手にはお説教。
でもおいらも若い時、
飲酒運転したことあるし、スピード違反もしたことがある。
今は、絶対にしない。
後輩を学校の先生を交通事故で亡くした事実や、自分自身の生命が
決して自分のわがままだけではすまない事実を感じた時から。
スリルは、生きていることそれ自体で「実感」できることを知ったから、かな。
ちょっとした「思いやり」。1人で生きているのではない事実、
噛み締めていたいです
by ブタゴリラ (2005-08-27 10:50) 

参明学士/PlaAri

しゃくれアゴさん、運転のテクニックの問題は避けては通れない課題ですね。あまり難易度が高いと運転そのものをすることができなくなって車の利便性を損ないますし、低すぎると事故を引き起こしやすくなる。
仰るとおり、運転免許試験や更新の際にもっと意味のある手を打つべきでしょうね。普段からはそのような講習になど絶対に参加しないはずですから。確かに現状の免許証更新はあんまり交通事故抑制のシステムになってはいませんから、その辺から改良していくということが必要だと思われます。

ナシウタさん、軽微な違反での免許停止等も抑制効果はあるかもしれません。ただ、人間はミスをする動物ですし、そうした不可抗力的な何かの連続で免許証剥奪となると社会の利便性を損なう可能性も出てきてしまうのも事実ですよね。こういった類の規制は「モラルの良化へ誘導するための規制」なんです。そして私が提案している規制は「交通事故の悲惨さを極限まで減らす規制」ということになるかと思います。
免許証や運転技術への規制は、「人間そのものへの規制」に力点が置かれますね。一方、車の破壊能力(スピード超過・飲酒運転等)の増長を防ぐためにつけるスピードリミッター・アルコール検出器の規制は「機械への規制」ということになりましょう。その両面から対策を行えば飛躍的に事故は減るでしょうけれど、なるべくなら「人間に対する規制」は少ないほうが望ましいのは言うまでもないことです。だからこそ、運転手は自らモラルを高めなくてはいけないはずなんですよね。それがうまく機能していないために、様々な規制を呼び起こしてしまうのだと思っています。

ひろっぴさん、リンク先拝見いたしました。ありがとうございます。感銘を受けました。是非、皆さんにも一読してもらいたいですね。

arukakatさん、記事が完成しましたら是非TBしてください^^よろしくお願い致します。

ブタゴリラさん、

>運転は、卒業させることよりもちゃんと教えることに重きをおいて欲しい

同感ですね。自動車教習所は少しでも多くの生徒を確保して稼ぎたいですから、入学させたらさっさと卒業させて次の生徒を補充しようと考えていますからね。これが非常に良くありません。しっかりと教育をしていくことが最も根本的な交通事故対策になるはずです。
一人で生きていないということ、その視点がとても大切だと私も思います。
交通社会は自分と直接関係の無い人ばかりが道路を走っていますが、自分と関係のない人にも何らかの被害を与えてしまうことがある。すなわち車に乗った時点で一人では生きていないということも考えられます。
亡くしてからでは、失ってからでは遅すぎる。それを先に知ってこそ、思考ある唯一の動物である「人間」らしさが現出するのだと思います。
by 参明学士/PlaAri (2005-08-28 12:50) 

まさ

認証システム。。。確かに。。
クルマに関しては考えもしなかった。。
かなり現実的にいけそうな気がしますね。もちろん課題は多いでしょうが。
「人に迷惑をかけない」というのは、「結果迷惑をかけなければいい」ということではなく、「迷惑になる可能性のある行為をしない」ということ。。と、
若者が「人に迷惑かけてないんだからいいじゃん」と言っているのをテレビで見て思ったもんです。
危険に繋がる可能性の高いものは、事前にその可能性を極力減らす確かな対策をしてしかるべきですよね。。。
by まさ (2005-08-28 15:31) 

参明学士/PlaAri

まささん、免許証の認証システムは技術的な課題はないはずですから、あとは脱法行為にどのように対処していくかということが問題になってくるでしょうね。
「迷惑をかけない」ということがモラルレベルで維持できない現状が続いていますから、当然その「可能性自体」に目が行くのは避けられそうもありません。なにしろ人間の生命がかかっている由々しき問題と言えるでしょうから。
もはや交通事故被害者だけが注力していてはとても追いつかない課題になってしまっていますよね。
by 参明学士/PlaAri (2005-08-29 11:50) 

くろねこ

自動車にすべてを望むのは「牛肉は切れて人は切れない包丁」を作るようなものかと思います。しかし飲酒検知装置など導入するべき技術は存在することも事実です。
趣味でモータースポーツに関わっていますが、ここ数年の一般ドライバーのモラル欠如を著しく感じています。
危険運転の罰則強化も結局は「事故さえおこさなければOK」という甘い考えには通用しませんし、再び飲酒運転による死亡事故が増えているのもうなずけます。
#携帯運転も以前と変わらぬくらい目にしますし・・・。

行き着く所は、ドライバーがもっとハンドルを握るという事の重さを考えてほしいということです。
警察にも、もっとパトロール強化で事故の抑止をしてもらいたいなぁと思ってます。
by くろねこ (2005-08-30 11:31) 

参明学士/PlaAri

くろねこさん、

>ドライバーがもっとハンドルを握るという事の重さを考えてほしい

やはりこれに尽きるんですよね。運転に限らず、すべての人間の問題は人間そのものに行き着くように思います。社会は利便性を求めて「機械」の向上を果たしてきました。ですが2000年以上も前から人間そのものは全く変わりないと言っていいほど進歩していません。身の回りの環境を作ることを進化したと表現しているわけです。それはそれで誤りだとは思いませんが、モノが進化している時にそれを使いこなせないようなヒトではひずみが出るのは当然ですよね。交通事故はまさにそのひずみではないでしょうか。
いかなる規制も根治には至りません。やはりドライバーの意識向上が基本という結論になりますよね。ですがまだまだ意識が追いつかない以上は、機能制限という形も選択しなくてはいけないのかもしれません。何しろ、人間の命がかかっている重大事ですから。
by 参明学士/PlaAri (2005-08-30 12:39) 

これはドライバーモラルの問題でもあるし、自動車会社の責任でもあるし、道路管理者・警察の問題でもあるんですよね。。速度カッターというのも実は経済摩擦(非関税障壁)の問題もあるし難しい。。
by (2005-08-30 20:17) 

参明学士/PlaAri

水郷さん、車というものが実社会にこれほど浸透してしまうと、何かと後付けの規制は難しくなってきますよね。かといって交通事故の問題は軽くは受け止められませんし。その辺の様々に絡み合っている要素を抽出しながら、問題解決への糸口を見つけ出さねばなりませんよね。やはり人間の命は大切です。
by 参明学士/PlaAri (2005-08-31 13:13) 

sojirushi

自動車メーカーも交通事故を減らすために運転アシストの面からのアプローチはしているようですが、やはり使用者にデメリットとなるような機能の開発となると消極的ですよね。
まぁ自動車メーカーが自主的につくらないのはしょうがないかと思います。
売れなきゃ開発しても意味ないですから。
だからここはやっぱり国が動かないとって感じですよね。
by sojirushi (2005-08-31 19:27) 

参明学士/PlaAri

vaio_trさん、そうですね、やっぱり使用者に不評になるような機能制限に踏み出す勇気はなさそうですね、企業としては。
ト○タくらいの大会社になれば、多機種のうちの一機種くらいは自主規制した車を出して市場の反応と世間の評価を見てみるのも手だとは思うんですけれどね。「車大手が自主規制車を発表!」みたいな感じで。
後は国民的議論に持ち込んで、政府主導で対策を考えてみるとかありえそうなんですけれどね…。どうでしょう?
by 参明学士/PlaAri (2005-08-31 19:32) 

むが

そうだなぁと思うことは多々ありますね。
私も車通勤者なので車とは切っては切れない関係なので。

スピードといえば、大型車は90キロに制限されてますよね。
だんだんと、ここで書かれている感じになってくるのかなという
予兆は感じますけどね。

しかし、相変わらず携帯電話してる人が多いのが意外ですね。
その車に限ってトロトロ運転していて、
見ていてイライラしますけどねぇ。
by むが (2005-08-31 20:46) 

参明学士/PlaAri

むがさん、今後この交通事故対策をどうするかということも、政治の問題として取り上げていくべき時期なのかなぁとも思います。
国民を守るべき法律を期待したいですよね。
by 参明学士/PlaAri (2005-09-01 16:20) 

kenta-ok

もっと罰則強化して欲しいと思うわけです。
http://blog.so-net.ne.jp/kenta-ok/2005-10-01
by kenta-ok (2005-10-22 01:20) 

参明学士/PlaAri

★kenta-okさん、罰則強化も一つの手段ですね。
ですが、罰は被害者の原状回復に繋がりにくいという側面もありますし、やはり私は事故が起きる可能性自体を低くすることに注力して行くべきかとも思います。
by 参明学士/PlaAri (2005-10-22 02:23) 

arukakat

道路での事故ではありませんが、ニュースを見てふと浮かんだのでボソっと記事にしてみました。

交通事故関連は、考えれば考えるほど対策に穴が見つかって、未だにまとまりません・・・。「車を無くせ」という極論でしか解決できないのか・・・。
by arukakat (2005-11-05 17:49) 

参明学士/PlaAri

★arukakatさん、TBありがとうございます。早速拝見しに伺いますね。交通事故って完全に現代病なんですよね。しかも被害に遭った方はそれをあまんじて受けるような心構えができるはずもない。本来なら「生きていたはず」と思うのが人情でしょうから。人間のエゴがむき出しになる一つの例ですよね、この問題は。
by 参明学士/PlaAri (2005-11-06 15:20) 

風間

こんなもの作ってみました。

時代は新しい言葉を求めている。
ルール違反がもとで起こった事象を「事故」と呼んではいけない。でも「故意」とも違う。
誰か言葉を作って下さい。

by 風間 (2008-05-31 23:51) 

参明学士

★風間さん、コメントありがとうございます。早速拝見に伺いますね。

>ルール違反

交通問題の難しさはルール遵守が必要なのは当然ですが、「そのルール自体のクオリティは確かなのか?」ということも考えなくてはいけないんですよね。

そして、交通事故(便宜的にそう呼びますが)に対する認識の難しさとして挙げられるのは、その多くが「わざと事故を起こしているわけではない」ということです。どのような人間も完全に無謬であるということが成立しませんから、どれほどの注意力を持っていてもミスは潜在的に蔓延しているものです。これを解決する究極の手立ては、「自動車社会を放棄する」ということになるでしょうけれど、これも簡単な相談ではありません。

人類の利便性とトレードオフになるのが、どこかの誰かの生命。全く不都合で不合理なシステムですね。
by 参明学士 (2008-06-03 09:32) 

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