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日本とは何か。 [思索の散歩道]

この地球上に「日本」が誕生したのは一体いつのことであろうか。その日本が誕生する以前は「日本人」はいなかったと言えるのだが、それでは話にもならないので「日本人」の源流について考察していきたい。

日本の始まりとその以前

 今、我々はこの国土を「日本」と呼んでいる。では、そう呼ばれるようになったのはいつからか。学者の間では幾つかの説があるようだが、大筋として619年施行の「飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)」とされている。これは「天皇」という呼称が始まった時期であるともされる。また、それ以前、以後の説もあるが7世紀前半を遡ることはないし、8世紀初頭を下ることはない。要するにこの間の期間に「日本」が誕生したのだ。それ以前の「日本」は「大和(やまと)、あるいは倭国(わこく)」というのが正しいであろう。702年には倭国の使者が中国大陸の周の則天武后に謁見した時、「倭国」から「日本国」へと国号の変化を明確にしている。この辺りが「日本」の始まりとみて大きく違いはないはずだ。
 ちなみに、この「日本」の始まりを考えるなら現在の建国記念の日などは到底承認できるものではないと網野善彦は述べている。それはそうであろう。建国記念の日は戦前の紀元節=初代天皇である神武天皇の即位日とされているからだ。神武天皇が即位したのが紀元前660年というからその実在に疑問を持たざるを得ないところである。神武天皇以下、二代から九代の天皇までを「欠史八代」と呼び、その実在性に関しては極めて疑わしい。津田左右吉がその辺りをよく批判していたのを記憶している。ちなみにこれら、神武天皇から始まる皇室に関する日本最古の書物は古事記で712年完成である。日本書紀は720年であるから「記紀」をもってしてもざっと神武天皇即位から1000年以上も後になって文章になったものである。その時代の大和に伝わっていた口承伝説や中国大陸・朝鮮半島の伝説をソースに創作したものではないだろうか。今上天皇(平成天皇)も「天皇家の祖先は韓国と関係があった」とつい最近発言していたことが話題になったが、皇室にもそういった自覚が少なからずあるのであろう。また「天皇」という言葉も中国の風水盤(羅盤)後天八卦の中に確認することができる。どうやら「天皇」というのは星の名前でもあったようだ。
 大陸から学問らしきものが大和に流入してくるのは記紀よりはもう少し前であったようで、儒教や仏教の大和への伝来は4~6世紀の間であるとされている。中国・朝鮮半島の古代の情勢から鑑みて、海の道を経て大和にも相当な範囲での文化伝播があったと考えられる。惜しむらくは日本側に「書」が残っていないことか。(これらを詳説すると一つ一つ章立てしないと説明にならないのでここでは避ける。)

日本人はどこから来たか

 日本にいた民族の源流として4つの説がある。1番目にプレ・アイヌ(北方民族系)、2番目に南洋民族(ポリネシア・インドネシア・ミクロネシア・メラネシア等)、3番目に華南民族(主に揚子江以南で雲南が多い)、4番目に朝鮮半島民族である。根拠は現在も日本語として残されている各地域の言語であったり、伝承であったり、発掘される文物によるものである。詳説は避けるがこの4種の民族が合作されて、あるいは雑居して「日本人らしき者」が形成されてきたようだ。現在は同じ民族として認知されている日本人だが、その中身はやはり違うと感じることが多いのも事実であろう。
 代表的なのは関東人と関西人であるのは論を待たないところである。関東人は縄文人の流れを汲むといい、関西人は弥生人の流れを汲むという。「穢れ(けがれ)」の考え方一つから弥生人と縄文人は全く違うとも言われている。関東人・関西人の好みに違いがでるのも、こうしたところに端を発しているのかもしれない。列島の西側から東部へ勢力を拡大してきたのが弥生人であるといわれている。今は弥生時代という考え方が時期をはじめとして見直され始めているが一昔前までは「稲作」を持ち込んできたのは彼らだとも言われていた。当然、稲の種類に類似が見られるとかそういった話になるのだが、現在でも進行中の学問なので確定的な事を言える時期ではないと思う。また、現在は北海道の一部にしか見られない「アイヌ民族」であるが、往時は列島全域にくまなく存在していたようだ。列島各地域にアイヌ語を語源とする地名や文物が現存している。それはポリネシア等の言葉や文化も同じような状況である。南洋民族が海流に乗って北上してきたものと考えられる。その他、琉球地方に見られる巫女信仰のスタンスなどは中国北東部に多いシャーマニズムとの接点があるのではないかとも私は考えている。

 

書物や文で残っていない以前の歴史をどう考えるか

 四大文明が興ったとされるのはざっと5千~6千年前であるが(諸説あり)、現在で言うところの「日本・中国・韓国」の人的交流・文物交流は、はるかそれより以前に行われていたと考えるべきであるようだ。それらは交流というか混ざり合いとも言え、モンゴリアンスポット(蒙古斑点)が日本の子供に出る(お尻の青あざのこと。出ない子も、もちろんいる)ことも血統的な混ざり合いの事実を補完しており、広範な範囲からの視点を持つことが先史時代(人類が文字を使用する前の時代)の情勢を解く鍵となろう。
 世界は三大人種に分かれるという。コーカソイド(白色人種)・ネグロイド(黒色人種)・そして我々モンゴロイド(黄色人種)である。人間を色で分けるつもりは毛頭ないのだが、血統的な距離の近さを表す一つの指標であることは疑いない。日本・朝鮮半島・中国のいずれもモンゴロイドの国である。これらの地域が血統的に近いことは十分認識できるところである。文化伝播や人的交流を考える時、歴史時代(人類が文字を使用するようになって後の時代)だけが人類の歩みではないということを知らねばならない。国境という線を人類が引く以前の人間と人間との自然の交流にますます注目が集まることであろう。そうした研究成果が日本・朝鮮半島・中国との一体感を増進させ、良好な国家関係を保つための一つの共通認識部分として役立てるものであって欲しいと念願するところである。


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アキオ

おはようございます。
国境、人種、宗教、、そして、そこまでの国同士の歴史の積み重ね。
壁は実はいくつもあって、、
すぐにとっぱらっていいか、というとそういうものでもなし。

人類皆兄弟、ほんとにそうなるのはいつの日か。
by アキオ (2005-03-07 08:52) 

参明学士/PlaAri

akioさん、こんにちは!人類皆兄弟になるためには、やっぱりどの人間にとっても「うん、わかるわかる、そうだよね」っていう何かの感覚を共有しなくてはならないでしょうね。その一つは「命は大事なもの」ということが挙げられると思います。そして、やはりミクロ的事象にとらわれすぎないマクロ的歴史観が必要になってくると思います。ミクロは常に「例外」を伴っていますから、異論・反論も絶えません。個別的な戦闘行為にしてもやはりそうです。一方マクロ的に俯瞰すれば、理由はどうあれ「日本が第二次大戦でアジア諸国に攻め込んでいった」事実はどうしようもないことですから、そういうところから認識していく必要があるのかもしれませんね。
by 参明学士/PlaAri (2005-03-07 18:21) 

ひろっぴ

命は大事なもの・・・確かにこれは世界共通の認識だと思うけれど、しかし我々が考える命の重さと他の国の人が考える命の重さは果たして同等なのだろうか。「命より大切なものは無い」という考えと「命よりも大切なものがある」という考え。どちらが多く使われているのか・・・。
by ひろっぴ (2005-03-07 23:18) 

参明学士/PlaAri

ひろっぴさん、こんばんわ!貴重な問いかけをありがとうございます。

>我々が考える命の重さと他の国の人が考える命の重さは果たして同等なのだろうか。

まさにここが難題です。人の考えを相対的に考えて、それに価値を置くとなれば「命は重たい」ということを万人に押し付けることは不可能ですね。そう考えない人だっていないとは言えません。そしてそれが「間違い」だという絶対的尺度も存在していません(少なくとも人間には見えていない)。
この問題はやがては「正しいとはどういうことか?」という命題に突き当たると思われます。これに関して思うことがあるので、新記事でUPします。
by 参明学士/PlaAri (2005-03-08 03:05) 

近親憎悪というのが最近の世相のようですね。日本の明治における「脱亜入欧」が、全てを変えたような気がします。
日本人の原点・・まさにミステリーな形態ですよね。環太平洋と大陸の影響がミックスされ「良いとこ取り」のように思われますが。。この分野は「考古」という土の中から出土したものを考察する部分が大きいですからね。
何処かの研究者のように、捏造をしてしまいますと、とんでもない歴史が出来てしまう可能性もありますから。。
by (2005-03-10 17:31) 

参明学士/PlaAri

水郷さん、大変にコメント返しが遅くなってしまいました。申し訳ありません。気付かないままの状態でした…。何故だろう?ごめんなさい<m(__)m>

近親憎悪に関して、日本は遠交近攻策を採ってきていましたから、水郷さんの仰るとおり「脱亜入欧」がもたらした発想だと思えますね。あそこまでの圧倒的な武力を見せ付けられると、いかんともしがたいのかなとも感じることはありますね。太平の世の今から当時を判断しようとするのですから、的確な評価を下すことの難しさを否定することはできません。
佐久間象山や横井小楠はさすが哲学者風で、あれだけの圧倒的な外国の能力を見ながら、「技術は西、思想は東」と当時から言い切っていましたよね。

日本人の原点はやはり「合作民族」ということになるのではないでしょうか。特に大陸から流れてきた人間達は、現在で言う「難民」に相当するケースも多かったと思います。大陸での抗争に敗れた有力者が流れ着いた先、それが日本(当時は日本なんてありませんけれど)だったのでしょう。教科書風に言えば、それが弥生人ですね。そして先住だった縄文人と縄張り争いが始まりますね。アイヌ人もその居住地を狭められていきますね。アイヌ語の地名が全国に散らばっていることが明らかな以上、現在の日本はそういった人間達の混ざり合いで出来上がっていると言ってよいかと思います。

>何処かの研究者のように、捏造

あの時にわかったのは、他の考古学者も五十歩百歩でしょ?ということかもしれません。もちろん、全ての考古学者を否定するなどということはありませんが、それにしてもあからさまな捏造に気付けないなどということ自体が、学者としては情けないですよね。しかも発覚してから「自分はおかしいと思っていた」などというコメントは通用しないと思っています。
by 参明学士/PlaAri (2005-03-15 09:47) 

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