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第2回 『高杉晋作』 [思索の散歩道]

高杉晋作(1839~67)

激動の幕末を光のように駆け抜けた男である。いや、稲妻のようにと言った方が適切だろうか。吉田松陰の主宰する松下村塾出身である。もはや彼についての言動や行動についてはほぼ調べつくされていると言ってよい。幕末史を好む方は山口県まで行ってその事跡を偲ぶことも多いという。あまりの活躍度合いと、あまりの早世度合いが英雄度を否応無しに高めていると考えられる。目的への直球ストレート、変化球なしの行動スタイルは、周りの目を見て第一歩を踏む大勢の日本人とは明らかに一線を隔している。ここでは彼個人の行動というよりは、長州が何故維新回天の力になったのかを考えておきたい。

  1. 長州は関ヶ原の敗北の恨みを決して忘れていない。薩摩も同様である。
  2. 長州は外国との戦いを経験していること。薩摩も同様である。
  3. 吉田松陰という思想家を排出したこと。彼が潔癖な人物であったこと。
  4. 大名(殿様)が鷹揚であったこと。
  5. 高杉晋作や桂小五郎、久坂玄瑞らの傑物を輩出したこと。

個人が活躍するにはそれなりの土壌があるものだ。長州は正に維新回天のエネルギーになり得る条件を揃えていたのではないだろうか。東北で結成された幕府側奥羽越列藩同盟などはあっという間に瓦解した。何とも腰砕けではあるまいか。ともあれ、すでに幕末の200年以上前から倒幕のエネルギーは醸成されていたと思われる。関ヶ原敗北の責を取らされた西軍の名目上の盟主毛利輝元は大減俸の末、周防・長門の2国に押し込められた。121万石から37万石へ悲劇的転落である。4分の1程の領地削減はすなわち家臣の数・生活も4分の1になるという悲劇を示している。長州人は以来江戸(東)に足を向けて寝るようになったと聞く。凄まじい恨みである。当然、このエネルギーは幕末になって噴出したに違いない。

長州は四国連合艦隊(イギリス・アメリカ・フランス・オランダ)にこっぴどく実力を見せつけられることになる。諸外国の実質をこうして知るようになったことも維新回天の一つの要素ではあるまいか。薩摩も薩英戦争以来倒幕色を強めていったのである。禁門の変以来の犬猿の仲であった薩長は、不思議と同じような経験を経ることで維新のエネルギーを蓄えていったのであろう。

高杉晋作のような暴れ馬のような男を指導できるような人物は、恐らく吉田寅太郎(松陰)を置いて他にはいなかったであろう。高杉は他藩の人間と会わない。だから高杉が坂本龍馬と同時に長崎にいる時も、伊藤俊輔(後の初代総理大臣伊藤博文)に会うように提案されてもまったくの「シカト」である。彼に影響を与えうる人物は長州の人間でなくてはならなかったわけだ。吉田松陰の潔癖さは一つのカリスマに近い。思想はもちろんだが、高杉のような男を惹きつけるには「人間力」のような漠然とした雰囲気も必要であったろう。そのどちらも備えていたのは吉田松陰に他ならない。

長州藩主毛利敬親は村田清風などを起用し、藩政改革に臨んだがもはや時の人ではなかった。何でも「そうせい」と言うので、そうせい侯と揶揄されたりもしている。薩摩の島津久光は生麦事件で有名になった。兄の斉彬も著名な人物である。久光は秀才を発揮していたようだが、幕末期は西郷や大久保の言いなりに近いところがあった。その分西郷達は十分に力を発揮できたとも言えるから、複雑ではあるが。後には西郷達をこころよく思っていなかったようである。

薩長はこれらの土壌の上に人材を輩出した強みがあった。高杉のような強烈な人物が実は東国にもいた。越後長岡藩の河井継之助である。長岡藩などは10万石もない弱小藩である。あまり歴史教科書などには登場しないが、その行動力たるや西の高杉、東の河井と思うほどである。河井は当時日本に3つしかなかったという新型兵器のうち、2つを買い求めて幕末の動乱の中で長岡藩の「完全独立・中立」を守りきろうとした傑物宰相である。アームストロング砲、ガトリングガンを駆使し、攻めて来た新政府軍を散々に打ち破って見せた。山形狂介(有朋)はこの長岡攻略には完全に音を上げてしまったほどである。腰砕けの東国勢のなかで恐るべし河井継之助といったところであろう。話はそれたが、高杉は目的のための手段を考える脳は明晰であった。ただ、暴れ馬なだけでは到底歴史の歯車にはなりえない。奇兵隊の結成もまたそうである。鬼才というのはただ人並みはずれているのではない。行動が時代を構築する要素になる人物を言うべきである。

高杉も吉田松陰もあまりに早世だった。しかしその雷名は日本史の中に永久に留められていくことだろう。あの世で師・松陰とどのような会話をなしたか、それは知らない。だが高杉は自分の行動がここまで歴史の中に刻まれるとは考えていなかったはずだ。そこには虚栄心などは全く介在した様子は伺えない。時世の句「おもしろき こともなき世を おもしろく」は彼自身を生ききった証でもあり、歴史の大流と彼個人を結ぶ精神であったような気がしてならない。

※次回は聖徳太子を予定しています。


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黄泉若宮

回転ではなく回天じゃあるまいか?
by 黄泉若宮 (2005-02-21 10:36) 

参明学士/PlaAri

ご指摘ありがとうございます。より適合度が高いと判断しましたので、修正させて頂きました。
by 参明学士/PlaAri (2005-02-21 11:48) 

りんたろ

1839~67。。。知らなかった、28歳までしか生きてないんですか。20代で生ききったのですね。時代がそうさせたのか、個性あふれる人々が大勢現れた時代ですね。
しかし、吉田松陰も投獄されているから、高杉とは長い間の師弟関係ではなかったのでは?束の間の接点で、歴史が動いていくんですねぇ。
投獄されたり、刺客に狙われたり、そんな時代の奥様たちは生きた心地がしなかったのでは、と思う今日この頃であります。
by りんたろ (2005-02-21 13:58) 

アキオ

平均寿命が長くなるほど
馬齢を重ねる、という言葉がぴったりくる人が増えると思えます。
昔は平均寿命が短い分濃いのかもしれませんけど。。
それにしても、と。
by アキオ (2005-02-21 15:30) 

高杉が登場しましたね。奇兵隊結成から薩長同盟・馬関戦争までが彼の一番輝いた時期ですね。「歴史はもはや自分を必要としないのか」と言ったのも高杉でしたっけ。河井継之助ですか。良いですね。彼の「長岡スイス論」とそのための自衛力の強化(近代化)は、先見の明があると思われます。
次の聖徳太子も楽しみ。時代の転換期に活躍した人物にはいろいろ学ばねばならないところがあると思いますので。。
by (2005-02-21 17:26) 

hi2z-to-39la_vvv

羊ズと一緒に萩にいってきました!
ここの空気で生きた人がこの日本をつくってくれたのか・・・・・・
そう友達と、松陰誕生の地で深呼吸をして東萩を眺めた歴史バカです(笑)
何事も、ハングリー精神が必要なのでしょうか?
松陰博物館の最期、彼が亡くなる最期の句で思わず泣いたのでした。
人は何か命を受けてこの世に誕生する
きっとそういう星の元に生まれた人っているのだろうなぁ・・・・・・
そう思わずにはいられませんでした。
by hi2z-to-39la_vvv (2005-02-21 20:29) 

参明学士/PlaAri

りんたろさん、こんばんわ!そうです。松陰との師弟関係が長い人物は逆に言うと松陰が若くして死んだこともあり、皆、短いです。伊藤博文など松下村塾出身と言っていますが、ほとんど(いや、全くか?)松陰とは接していなかったように記憶しています。
奥様の視点を仰られていますが、興味深い着眼点だと思います。高杉晋作の妻はまるで高杉を知らないのと一緒のようなものです。高杉死後に色々妻に訪ねて来た人がいたそうですが、「私は実は高杉のことを、何も知らないのです。」というような返事をしていたそうですから。それくらい妻のところにはいない男でした。彼は。それを批判する学者もいるんですけれどね…。奥様の心中に関してはどうであったのか男の私には想像することは難しいかもしれません。

akioさん、こんばんわ!肺病が原因で晋作は死にました。歴史にタラレバは一切通用しませんが、高杉が生きて維新を迎えたなら…と考える人は山口県にいる人なら思うのかもしれませんね。それから側面として、彼は早世であったが故に英雄度を高めたとも私は考えています。

水郷さん、こんばんわ!地域的に見れば彼の活動範囲は坂本龍馬には遠く及ばなかったことは事実だと思います。けれど、まぎれもなく長州を揺さぶって日本を揺さぶった英傑の一人であるのも間違いありませんね。かといって傾奇者の雰囲気はあまり感じません。桃山時代の前田利益(慶次郎)の持っている破天荒さともまた少し違うわけです。そのあたりは師を持った特別な雰囲気がやはりあるのでしょうか。高杉は思想云々を並べた人ではありませんが、キチンと心の底を思想が流れていたものと思います。そのあたりに松下村塾たる所以もあるのかもしれませんね。何ともいえない彼の魅力。すばらしいです。

39laさん、こんばんわ!萩まで行かれたのですね。記事になってましたよね?

>ここの空気で生きた人がこの日本をつくってくれたのか・・・・・

お友達も同じようなことを言いそうですね(予想&笑)。やはりそういった感動が歴史を追及するエネルギーになりますし、とても基本的でありながら重要だと思います。松陰の妻になりますか?って聞いたら、「ハイ!」って答えそうですね…。お友達とケンカなさらぬようにして下さいね(笑)。
松陰は生涯で誰も女性を近づけていません。チャンスです(笑)
冗談はさておき、松陰がかくも著名になったのは弟子達の働き以外の何者でもありません。思想と行動は合一するという哲学も影響しているのでしょう。机上の理論に終わらせなかった高杉や桂をはじめとする弟子達に拍手を送らねばなりませんね。
幕末の思想家の中では松代の佐久間象山と、肥後の横井小楠に着目しておくと良いと思いますよ。
by 参明学士/PlaAri (2005-02-22 02:57) 

僕は、高杉晋作の「おもしろき こともなき世を おもしろく」
この辞世の句が大好きです。

一度参明学士さんと、生で歴史の話をしてみたいっす!笑
by (2005-02-22 03:33) 

参明学士/PlaAri

水郷さん、河井継之助の話、改めてしますね。熱くなる危険がありますので(笑)。ある種、幕末では相当にかっこいい部類に入ると思います。歴史の趨勢には絡んでない以上、教科書に載る人物ではありませんが、行動論・国家論的には着目されても良さそうな人物ですけれどね。

民生氏さん、こんばんわ!高杉の時世の句。彼らしいですよね。後悔の念が少しもない句です。彼自身の人生を生ききったのでしょう。下の句は誰が付けようとも野暮になってしまいます。唯一許されるなら、天で待っていたであろう松陰だけでしょうかね。
今度、歴史話します?(笑)。くどいですよ←自覚症状。
哲学はもっとくどい←救出不能。
科学との絡みはさらにくどい←もはやバカ。
政治が混ざると救いようがない←ホント、どうしようもない。

女には弱い(笑)←情けない。
by 参明学士/PlaAri (2005-02-22 03:40) 

hi2z-to-39la_vvv

松陰を友と奪い合う・・・・・ありえそうで怖いです(笑)
伊達政宗は違う友達との奪い合いだったのですが彼女とは誰を奪い合うか?
・・・・・・好きな人のタイプの顔がいまいちわからないので想像が出来ない(笑)
ちなみに伊達家の二代目?の顔が好きみたいです。
・・・・・コアすぎる話ですよね(笑)
by hi2z-to-39la_vvv (2005-02-22 13:19) 

参明学士/PlaAri

伊達家の2代目?江戸幕府時代の2代目のことかな?政宗自体2人いますからね~。ちなみに初代政宗は9代目の伊達家当主。仙台の政宗は17代です。あの戦国の政宗を基準にした2代目が好きなのだとすると、秀宗か忠宗かのどちらかですね。
ちなみに伊達秀宗は宇和島藩主になっています。彼の子孫の伊達宗城(むねなり)は幕末の4賢侯に数えられています。忠宗の子孫は…伊達騒動(笑)。個人的に好きなのは政宗の従兄弟にあたる伊達成実(しげざね)です。あまり書くと止まりませんのでこの辺で(苦笑)
by 参明学士/PlaAri (2005-02-22 14:00) 

ppp

久光は斉彬の子ではなく、弟、それも腹違い、
なので斉彬暗殺説が絶えず、そのため彼は斉彬の次の
藩主にはなれなかった(正式な藩主は久光の子)し、
西郷も久光を憎みきっていた・・・

ということではなかったかと思いますが・・・。
本当に史実かどうか知りませんが。
by ppp (2005-02-22 16:24) 

参明学士/PlaAri

pppさん、こんにちは!ご指摘ありがとうございます。加筆修正させて頂きました。毛利敬親と島津久光も私の記憶が入れ替わっていたようです…。いけませんね、記憶だけでこういうのを書いてしまっては(涙)
ご指摘いただき、感謝しています。書きながら頭の整理も出来ますし、自分の復習にもなります。これからは記憶を過信せず、事跡の確認をしながら記述しようかと思います。
仰っている話の内容ですが、なんとも歴史の闇というか仮説のいかんともしがたいところですよね。斉彬は久光をかっていたとも言いますし、その逆も…。まぁ、周辺を策士が囲んでいますから何が起きても不思議ではないですね。孝明天皇と岩倉具視のような解明されない闇も類似例だと思います。
by 参明学士/PlaAri (2005-02-22 17:13) 

hi2z-to-39la_vvv

秀宗が好きらしいです ←問い合わせてみたやつ(笑)
復元された顔があってそれを眺めて 政宗より秀宗 と思ったらしいです!
by hi2z-to-39la_vvv (2005-02-23 20:05) 

参明学士/PlaAri

秀宗ですか(笑)。容姿で決定されてしまったのですね(苦笑)。
そういう私はお市様が好き←バカ(笑)
by 参明学士/PlaAri (2005-02-24 01:13) 

kiyo

高杉晋作にはあまり詳しくないですが、密かに吉田松陰に人間として憧れてますww

>女に弱い
僕もです(苦笑)
女の涙は天敵です。

>お市様が好き
僕は猛将伝で追加された稲姫が好きです。あの凛としたとこがステキ。
(そういう話ですよね?ww違ったらごめんなさい)
by kiyo (2005-02-25 17:09) 

参明学士/PlaAri

kiyoさん、女の涙も甘えも天敵です。手強すぎてさばけない(笑)。猛将伝持ってないんですよ、実は。本編のは持っているんですけれどね。伊達政宗のあまりの弱さに凹みます(笑)。
お市さまの話は、実際に残っている「絵」と「逸話」に基づいて勝手に妄想しています。←やっぱりバカ。
by 参明学士/PlaAri (2005-02-26 02:41) 

kiyo

甘えも天敵でしたww
これを見た女性の方、うちのブログで涙流したり、甘えたりしないで下さいねwwマジで、お願いします。。。
そう、真・三国無双4が出ましたよ。
超雲でプレイしましたが、ばっさり感が進化してましたww
by kiyo (2005-02-26 03:14) 

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