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blog友人V.S直接友人(50記事記念投稿) [思索の散歩道]

最近考えること。blog(Web)で知り合った人と直接知り合っている人。何が違うのか、それとも違わないのか。

一人の人間で直接知っている人の数などたかが知れている。多い人でも数百人か、よほどの人で数千人か。1万人と知り合いという人間は非常に稀だろう。例えば自分の携帯電話の電話帳を見てみる。誰しも直接知り合っている人の多くを携帯電話の電話帳に登録するはずだ。私の携帯は500件程度登録されている。登録はしているけれど実際にかける・かかってくる数は更に少なくなるだろう。知り合っている人の数などこれくらいなものだ。携帯電話の登場初期はせいぜい50件くらいまでしか電話帳登録できなかったものだ。それが近年徐々に拡大してきたが、700件とか多くて1000件くらいまでで頭打ちのように見える。それ以上は必要ないのだろう。

では、Webで知り合った人を考えてみる。インターネットの世界に慣れてくるとネット上でほぼ毎日、人のコメントや記事を目にしている。「お気に入り」に入れているサイトなどは、直接知り合っている人以上に「触れている」わけである。直接知り合っている人で毎日やりとりするなどということは、恋人か家族等の何か特別な関係でなくてはあまり例がないだろう。ある人は、時間のある時は新規コメントがないかどうかひっきりなしに同じ人のblogへ通うこともあるだろう。その他、特定のblogにきちんとコメントを残す交流をしている人もいるだろう。そして互いに啓発しあい、挨拶しあい、意見交換をしあう。よく考えると非常に濃密な人間関係ではなかろうか。もちろん、ネットでの交流ではその人間の持っている全てを知ることは難しいだろう。だが、直接知っていれば全てを知れるかというとそうでもないことは、現実社会に生きていれば自ずとわかることである。また、コメントを残さなくてもそれを見ている人達が確実に存在する。自分が知らなくても相手が知っているケースは多いはずだ。この人数は実際に直接知り合う人数よりも多くなってしまうのである。アクセス数やコメント数はサイトやblogを長く続ければ、増えることはあっても減ることはない。数万、数十万などあっという間だ。ネット文化が否定的に受け取られるのは、一部の無責任・無倫理・無道徳・無軌道な文言等が氾濫するからであろう。また氾濫する情報の取捨選択が難儀になるからというのもその理由かもしれない。しかし、それだけがネットの評価となればお粗末極まりない。何事もそうだが、長所を伸ばし、短所を目立たなくすればよいのであると思うがどうであろう。そして、ネットを使いこなすか振り回されるかは結局のところ、それを使う人間の側の問題なのである。

と、私が考えるようになったのは理由がある。インターネット文化論や提言を見ると、「バーチャルな世界に浸ってしまい、世間と没交渉になる」という考え方がある。それを目にしてからである。考えるようになったのは。人と直接知り合いじゃないから、無価値だと言うわけだ。それは違うと思う。なぜなら音楽を聴く人がいる。彼らはそのアーティストと直接知り合いなのか。ほとんどがそうではないだろう。でもひっきりなしにCDをかけては歌や曲を聴いている。これだって極めてバーチャルな世界である。実際に歌手は歌ってはいないのだ。そのバーチャルな世界に陶酔して楽器を始めたり、作曲したりするわけだ。これを「世間と没交渉」と言えるかどうか。パソコンの前に座っている人と、スピーカーの前に座っている人。そんなに違うとは思えない。美術品が好きな人。それを作った作家と知り合いか。そうではないだろう。小説を読む。その作者と知り合いか。違うだろう。だから音楽を聴くのも、本を読むのも、美術鑑賞も、ネットも決して世間との没交渉に直接繋がるわけではない。バランスの問題だろう。

人間は自分を突き動かすエネルギーの側にいるのは当然だ。音楽だったり、食事だったり、読書だったりする。その中にネットがあってもいいのである。直接知っている人か否かなど、本人にとってさほどの意味があるのだろうか。「ネット??」、などという先入観も必要ない。自分は自分なのだ。人間はともすれば二元論に陥りやすい生き物だ。右か左か、上か下か、男か女か、科学か宗教か、金か心か、など、選択を求めたがる。web上の友人か、直接知る友人か、というのも似たような問題だろう。私はインターネットを始めて数年になる。つまりネットで知り合った数年になる友人がいる。誰かに「直接知っている友人とネット上の友人とどっちが大切か?」と聞かれたらこう答えるつもりだ。

「どっちも大切だ」と。


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さおりん

とっても共感できる内容でした。どうしても「ネットで知り合った」とかいうと、何か変な目で見られたり、危ないと思われたりするのですよね。特に年齢が上になればなるほどその傾向は強いようです。そして、テレビなどで取り上げられることがどうしてもネット=犯罪に繋がるような事柄ばかりで、イイコトという点ではあまり放送されない。そういうこともあってか、ネットはよくないものにとらわれがちなので、下手にネットで知り合ったとかいえない状況だったりします。
でも、自分にとっては、ネットの世界がバーチャルだという思いも多少はあるけれど、相手は生身の人間だし、ちゃんと言葉を交わしてるんだし、リアル(直接な友人)な関係とあまり変わらないですよね。
だから参明学士さんが書いてる通り、あたしも「どっちも大切」です。
by さおりん (2005-01-27 19:40) 

kyao

参明学士さんが仰っている趣旨と、多少話がずれてしまうかも知れませんが。
先日、某国営放送がオンエアしていた「ネット中毒」の特集番組を観ました。同じネットゲームをプレイし、すぐ近くにいても晩ご飯の相談をチャットで行う母娘など、いろいろな人がいました。
参明学士さんが仰っているように、すべてが「良い」「悪い」の二元論で片づけられる問題ではありませんが、中にはかなり危ないなあと思える方もいらっしゃるのは事実です。1日のほとんどをパソコンの前に座り込んで過ごすため、体重は150Kgを超える人がいました。「自分が死んだ後、どうするのか」と心配する母親を他所に、彼は「たとえこのゲームのサービスが終わっても、次のゲームをずっと続けますよ」とうそぶきます。
無論、これはあくまで極端な例にすぎません。数日ネットゲームをプレイし続け、衰弱死した人がいるという話も聞きますが、ごくごく一部の人ですよね。でも、マスコミは挙って「それみろ。インターネットは危ないんだ」と大きく声を上げます。
リアルな友達が相手なら、その友人の間を入り浸ると言うことはあまり無いと思います。ですが、インターネットの場合は、スイッチを入れればすぐそこに慣れ親しんだ友人がいます。そうした気安さが、依存する人たちを増やす要因になっているのでしょう。
私も参明学士さん同様、バーチャルな世界の友人も、リアルな世界の友人も同じように大切です。大切なことは、そこに「何を求めるか」という受け身の姿勢ではなく、「何を得たいとするか」という積極的な姿勢ではないでしょうか。
by kyao (2005-01-27 19:47) 

りんたろ

集団自殺などもネットのせいにされていますが、使い方を間違えると凶器となるのは、ネットに限ったことではないでしょう。バーチャルであれ、リアルであれ、人として倫理的に間違った扱いをしなければ、よい関係を保っていけるのではないかと思います。
by りんたろ (2005-01-27 21:12) 

arukakat

私は、特に「リアル(オフ)とヴァーチャル(オン)」という区別を気にはしませんが、興味深い記事でした。

>「どっちも大切だ」と。
ですよね。

勝手に心配に思ってるのは、行楽に出かけている家族の中で両親の隣に居ながら携帯ゲームに熱中している子供ですかね。問題は親にありますが・・。
アレを見ると妙に悲しくなってしまう・・。
by arukakat (2005-01-27 21:40) 

参明学士/PlaAri

さおりんさん、こんばんわ!親知らず抜歯失敗で歯が痛い明士でございます(笑)これも、私の心の持ちようが原因かなぁ?なんて考えたりしますが、次はちゃんと抜歯出来るように心構えをしていきたいと思います。って痛いんです。ものすごく…。
ネット社会のことですが、やっぱり使う人間の問題だと思うんです。極端に言えば「核」の使用法だって爆弾化するのも人間、化石燃料にとって変わるエネルギーとするのも人間。やっぱり人間がどうあるのか、という視点をぶらしてはいけないのだと感じています。kyaoさんのコメントにあるように悪い例があるのは事実です。ですから尚更使う人間がどうあるべきなのかということを、スタンスが重要で、バランス感覚が大切なんだなぁと思う今日この頃です。

kyaoさん、こんばんわ!いつもありがとうございます。事例の件、聞いたことがあります。実はこうした現象をインターネット側の「インフラの問題」と考える必要はあるのではないかと考えます。プロバイダ業者は別として、時間課金制のゲーム会社などは「稼がんかな」という思惑で無制限な接続に対し何ら手を打っていません。ここでもやっぱり登場してくるのは「人間」ですね。使う側も提供する側も「人間」です。ネット社会に限らず今日の社会全般を俯瞰すると「金の為に犠牲にするもの」にはまったく気を向けておりません。ここでは論じませんが、世界の歯車を狂わせるものの一つの正体はそこにあるはずです。

りんたろさん、こんばんわ!実は相当歯が痛いんです(笑)倫理観の欠如はバーチャルでもリアルでも同じことですよね。当然、バーチャル・リアルのどちらにも同じ人間が絡んでいるのですから間違いないと感じます。人間はすぐに「自分の環境のせいにする」生き物です。実は「自分の内部の問題」と考える人はすごく少ないのですよね。

arukakatさん、こんばんわ!親知らず周辺の歯肉が腫れまくっている明士でございます(涙) 行楽に行っているのにゲームですか…。ため息が出てしまいますね。防水ケータイゲームが出たら、プールでも…やってそうですね(哀)
by 参明学士/PlaAri (2005-01-28 19:15) 

neroli

歯が痛い時って、ほかのどこが痛い時よりも、心と頭と体を
占領される気がします。
それなのに、これだけの文章を残し、そして数々のコメントにも
丁寧に答えられる、なんて尊敬です。
筆まめでないわたしが、ブログ上で生きていけるか不安な毎日です。
くれぐれもお大事に!
by neroli (2005-01-29 01:30) 

参明学士/PlaAri

ネロリさん、おはようございます!そんなお褒め頂き恐縮です。
歯痛はかなりの辛さですね(涙)もう、歯茎がはれまくっていて口も閉じられないくらいです。
わざわざここにいらしてくださった皆さんにはきちんとコメントをしたいと思っています。いつも感謝しております。
ネロリさん、筆まめでなくても大丈夫ですよ!私も決して筆まめではありませんし、「一歩でも前へ」を合言葉に進んでいこうと思うのみです。
これからもよろしくお願いします。そしてブログ運営頑張ってくださいね!こちらからも遊びに行きます~。
by 参明学士/PlaAri (2005-01-29 08:14) 

オサーン

お邪魔します。
ゲストなのでniceを押せないのが残念です。
リアル友人もネット友人も同じく大事な友人には違いないと思います。
by オサーン (2005-01-29 10:32) 

So-net blogを始めてから、ネットを通じて知り合うという体験をしました。
最近は(雪のせいでなかなか外に出ないから?)blogでの言葉のやり取りが多くて、直友に会うと溢れるようにしゃべりだします。blogでは口から言葉を出さないからでしょうか。
どちらも楽しいです。そんな自分が楽しかったりもします。
時々夢の中にこのblogの事が出てきます。きっと相手が見えない分、想像力を働かせてコメントのやり取りをしているからかな?と思います。
顔が見える相手には、自分の言ったことで「あ、今気に障ること言っちゃったな」とかがわかりますけど、blogではそうはいかないので、余計に相手のことを気遣ってお付き合いしてる気がします。
大事さは同じですが、ネットの中では繊細な大切さがあるような気がします。
by (2005-01-29 11:02) 

shirogane-kagami

記事を拝見いたしました。
同感です。ネットで知り合った友人であろうと、リアル社会で知り合ったそれであろうと、大事な友人であることに変わりはないですものね。ただし、ネットでは、リアル社会以上に気を使うべきだと思います。
あと、おっしゃる通り、一部の無責任な言動を繰り返す人たちがいて、そのせいでネット社会が否定的な見かたをされています。こういう状況を変えていくためにも、私達はやはり、ネット社会でも、倫理をまもり、良識的な発言を心がけたいと思います。
by shirogane-kagami (2005-01-30 14:53) 

参明学士/PlaAri

オサーンさん、はじめまして!コメントをありがとうございます。リアルもネットも変わらない人間だということなんですよね、要するに。

スナフさん、毎度です。スナフさんと知り合いになれたのもネットあってのことですよね。仰るとおりで、繊細な言葉表現に徹したいですよね。私は結構コメント後に後悔することもあります。もっと柔らかく表現しておけばよかったなぁと…。

銀鏡反応さん、こんばんわ!ネット社会では顔が見えない特殊性を持つことは避けれられないので、やっぱり仰るような倫理感が要請されると考えます。ネット社会の乱れが実は社会の乱れと繋がっていることはあまり意識することってないと思うのですが、どちらも「同じ人間」が構築する以上は人間そのものの良化が重要視されるべきことなんだなと思っています。
by 参明学士/PlaAri (2005-01-31 00:16) 

手巻き

はじめまして。
本文中に音楽というメディアを例に話が展開している部分がありましたが、
私はコミュニケーションの手段(双方向)という観点から比較するべきでは
ないと感じました。
夜にでも改めてコメントしようと思います。
by 手巻き (2005-02-02 13:05) 

手巻き

こんばんは。
続きのような形になり、すみません。
私はディスカッション的にインターネットのスペースが活用できれば、
非常に有効的だと考えています。 もちろん、利用者のモラルが求められる
点も参明学士さんと同様に必要だと思います。
ただ、
>「バーチャルな世界に浸ってしまい、世間と没交渉になる」

などの指摘をされるのは可能性の話です。
メールやチャット等は、コミュニケーションの手段として完結するには
不完全な物なのだと思います。『顔も見えないし、声もわからない』
実際に対面して会話をすれば声のトーンもありますし、互いの表情の変化
に気付くでしょう。 一方バーチャルと言われる手段では
画面上に表示される文字から、受け手は自分の声、もしくは抽象的な誰か
の声に置き換えて文章を頭の中で読みます。(音読する人はあまりいない
と思いますが・・・)
この状態は、心の中に直接なにか訴えてくる様な違和感があると
感じています。勿論これも人により程度の差があります。
この感覚こそ、心理的にかなり『深い部分』で触れあった錯覚につながる
のではないでしょうか?
伝える側は文章を考えるのにかかる時間という面では自由が利くの
で、自分が少し雄弁になった気分になってしまうかもしれません。
相手も自分も見えない分、誤魔化しはいくらでも成立してしまう
危険はあります。
本来、人が何かを伝える場合は発声によって脳には振動が伝わり
刺激になるという事があります。これは非常に良い事で、カラオケ
で歌を唄うことがストレス発散に役立つという話もあります。
人間のあるべき姿なのかもしれません。

私が言いたいのはネット社会に「過剰な期待をするのは危険もある」
という事です。 多くの人がそれを認識したうえで利用すれば
無数の可能性もあると思っています。
長くなってしまいすみませんでした。
by 手巻き (2005-02-03 01:11) 

参明学士/PlaAri

手巻きさん、はじめまして!丁寧なコメントをありがとうございます。

基本的な私の考えではネットに接続する人も、リアルに会う人も「変わらぬ人間である」という柱を立てています。すなわち、リアル社会でモラリストである方は、ネット社会でもまたそうある方であるはずではないだろうか?という考え方ですね。これは当然「必ずしも」という早まった定義をするつもりはありません。いかなる社会にも例外は存在し、かつそういった例外が発生することも真理の一部なのかもしれませんけれど…。基本的にはリアルで動物好きな人は、ネット社会で動物に暴言を吐くとは考えにくい、といったようなことです。

>「バーチャルな世界に浸ってしまい、世間と没交渉になる」

これは私が出した考えではなく、私が見かけた考え方を紹介したものです。そしてこれを本文で否定しています。その上で、メールやチャットが不完全であるのと同様に、直接の交流もまた完全な形ばかりを到底期待できないという主張をしました。直接知っている人だから全てを知れるわけではないという発想ですね。だまし、だまされる社会を俯瞰してみればなにとはなしに感じ取れる事象でありましょう。

>この感覚こそ、心理的にかなり『深い部分』で触れあった錯覚につながる
のではないでしょうか?

確かに言葉以外でのコミュニケートをそう感じる部分があるのは、肯定できる事象だと思います。文章もよく考えた上で作成することもできますしね。そこで考えるのは例えば、「文通」と呼ばれる手紙の交換です。この手紙交換がワープロ打ち・パソコン打ちで行われている場合はどう思われるでしょう?文字自体では文章内容に差が出ることはないですよね。メールやチャットでの意見交換とどのような違いがあるか。まずは時系列ですね。意志が伝わるまでの時間が違う。そして媒体は紙として残すことができる。それから手紙投函までの手続きの労ですね。こうしたことが手紙の本分内容に加味されて相手側に届くことでしょう。
一方メールやチャットはどうか。これは「即効性」がウリです。即座に意見の欲しい時に対応ができる。意見交換を短時間で積み重ねていくことが可能になる。これは現代社会のもたらした大きなメリットであるといえるでしょう。これは人によっては人間的に思える「手紙」よりも価値を高く設定する方もいるでしょう。

結論的に言えばネット社会にいるのも、実社会にいるのも「人間」であるということです。世の中の諸事象は結局は「人間そのもの」に行き着くことは避けられません。社会構造を作るのも、科学を価値的に利用するのも破壊的に利用するのも、文学を創るのも楽しむのも、音楽を聴くのも弾くのも、ネットで文章を打つのも、話をして意見交換するのも、何ら原点は変わりない「人間の問題」に行き当たるのだと考えています。ですから、「ネット社会を過剰に期待する」のではなく「リアル」も「ネット」も人間がその運営者だから、人次第で良くも悪くもその姿を変えるのではないかなと思っています。
ですから人間一人ひとりに尊厳を見出そうとする思考性に立つ時、ネットや、リアルといった線引きは積極的な意味では採用しない立場を採っているということになります。

>長くなってしまいすみませんでした。

とんでもございません。また是非ご意見を頂ければと思います。
by 参明学士/PlaAri (2005-02-03 02:16) 

サファイヤ

>ネットを使いこなすか振り回されるかは結局のところ、それを使う人間の側の問題なのである。
これに尽きます。使う人間次第で、広くもなり、狭くもなる道具なのでしょうね。
by サファイヤ (2005-05-29 21:00) 

参明学士/PlaAri

サァファイアさん、結局世の中の全てのことは「人間次第」ということが言えるのかもしれませんよね。一人ひとりがどう生きるか、どう考えるか。これに尽きそうな気がしています。
by 参明学士/PlaAri (2005-05-29 23:36) 

mana

現実であって現実じゃない。
リアルには決して成りえない、バーチャルですね。
記事を読み、身近に感じて書き込みを始めましたが、
今、これを書き込んでいる事さえ、未だに不思議です。
バーチャルだから、色々なことを書き込めるのかも・・・
人見知りなので、実際に会ってしまうと口から言葉は出てこないと思います。
でも、皆さんのお顔は拝見してみたいですが・・・(笑)
完全にバーチャルの世界へ、はまっちゃいました。(笑)
by mana (2005-12-21 07:05) 

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