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人間社会で避けられないこと [思索の散歩道]

人間の生き様を追っていくと、必ず突き当たる事実がある。それは「他者の評価を受けること」が人間として避けられないということである。他の生き物にはないものだろう。他生物であるのは(例外があるとしても)せいぜい「現在の力関係の評価」を本能的に行うことであろうか。人間だけはそれを文字なり、音声なり、記憶に残したりして先人の軌跡を残そうとする。時には正確に、時には捻じ曲げて。

何をやっても評価にさらされるのだ。政治家でも、文筆家でも、音楽家でも、スポーツ選手でも、哲学者でも、宗教者でも、科学者でも、一般家庭の主婦でも、何でもである。評価を気にするかどうかとは別次元のことである。人間は他者に評価されてしまうのだ。隣の奥様を評価する町内会の人。校長先生を評価する生徒、あるいは教員。アーティストを評価するファン、あるいはアンチファン。しまいにはロックだパンクだポップスだを評価しだす。その音楽がキャッチーかどうかなんてことまで言い出すのが人間だ。「キャッチーは安っぽい、いやキャッチーがいいんだ。」などと言いあっている。どうやら評価しないではいられないのが人間らしい。バットを握ればバットの評価、ラケットを持てばその評価、ゴルフのクラブを握ればその評価、食事に行けば味がいい、まずい、待たせる、待たせない、本を読めば文体が好き、発想が好き、長い、短い、面白い、つまらない、空気もうまいだ、まずいだ、雰囲気がいい、わるい、おしゃれだ、などと人間は間断なく評価している生き物だ。何とも忙しい生き物である。 

そして、自分なりの評価を他人と共有する喜びを感じたかったり、意見をもらいたかったりして本を書いたり、意見を交換したり、思想を広めたり、新聞を出したり、ネットで書き込んだり、サイトを立ち上げたり、時には多くの人を扇動したりするんだろう。そして自分の価値観と近い人を、自分の周囲に置きたがる。その人に同意を求めて、同意を得られることに無意識に安心感を持っている。人間とは実はそこまで弱いのか。いや、だからこそ強いのか。人間とは元々「知ってもらいたい生き物」なのだろうか。

色々な人の様々なblog記事にコメントやnice!トラックバックが付いている。それもやはり「自分なりの評価」を与えているのである。同意見、反対意見、中立など、どの立場を取っても評価していることには変わりない。我々人間社会は、評価の中に存在していると言っても過言ではないように思うのである。


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gull

人間が生きていく上で必要なものは衣食住などではなく、存在証明であると僕は断言したい。他人の評価とはついてまわるものながら、それが善きにつけ悪しきにつけ、他者とのコミュニケーションを確立したという点で、十分に存在証明になっているということは、アンチ巨人ファンも結局巨人ファンだというような卑近な例を持ち出すべくもなく明らかなのだ。と思いながら拝読させてもらいました。
by gull (2005-01-14 12:44) 

ako

評価の渦中で、人の弱さ強さは紙一重なのかなと思いました。
評価した内容によっても人の立場が変わってしまう事もありうる訳で、その為に自分の評価とは異なる評価をしたり。やはりそれは人間だけのように思います。
by ako (2005-01-14 15:43) 

参明学士/PlaAri

ガルさん、こんばんわ!他者が自分を認知することが「存在の証明」になるということですよね。その意味で他者の自分に対する「評価」はすなわち、「そこに評価される者(自分)」の実在を定義付けていますよね。全くの同感であります。人間にとっての最大の価値が「存在証明」であるかどうかは、議論の分かれるところになりそうです…。

akoさん、こんばんわ!仰るとおりで、評価内容でその人の立場が変わってしまうことが社会ではよくあることですよね。そういった「相対的な評価」を超えて、「絶対的な評価」を目指すには、まだまだ人間自身の倫理観・道徳観を深化させねばならないでしょうし、換言すれば「真理と呼べそうな何か」を確立すべきなのだと思います。ですが、それ自体は人類にとって大作業になることは間違いないと感じます。私自身、その大作業にほんのちょっぴりでも参加できればなぁ…などと、無謀なことを考えています(+o+)
by 参明学士/PlaAri (2005-01-15 00:51) 

skullagohollywood

So-netブログの害毒であった自分ですが
只今退会にあたり皆様の元へお礼参り中(笑)。
言いっぱなしの自分とは違い行動に移せる
参明学士さんの御尽力には頭が下がります。
これからもがんばってください。
by skullagohollywood (2005-01-16 17:31) 

参明学士/PlaAri

ご丁寧な挨拶と、激励ありがとうございます。
8さんがいらっしゃらなくなると聞いて多くの方が落胆されておりました。
So-net blogが満足のいく環境になったらいつでも戻ってきてくださいね!収監少年ジャンクが読めないのは私も寂しいです。
ココログに行かれてもこっちとは是非繋がっていって欲しいと思っています。ココログ開設されましたら、是非知らせてくださいね~。
by 参明学士/PlaAri (2005-01-16 22:59) 

さかまた

関連記事から来ました、面白いですね。私は人間間の相互の評価を神経脅迫症的な評価ではなく、個人の価値観を浮き彫りにする評価によって、何か有益な社会の仕組みが出来ないかな?とたまに考えます。
by さかまた (2005-03-24 03:07) 

参明学士/PlaAri

さかまたさん、初めまして!コメントありがとうございます。「個人の価値観を浮き彫りにする評価」とは、「他者との差異それ自体に対して価値を付与する」という考え方でしょうか?地球上には60億人の人間がいてその各々に価値を見出す作業ですから、とても大切なことだと思います。
個性や主義主張を認容し合う社会はある種の理想系ですが、相対的な価値観を是認しすぎるとかえって独善的になったり、懐疑的になったりして、「客観的な正義」のような指標を認めなくなるケースも考えられますので、その辺が難しいところとは言えそうですね。
哲学や道徳などの出番はそこにこそあるのでしょうね。
by 参明学士/PlaAri (2005-03-24 13:57) 

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